九 - c.
2017 / 08 / 29 ( Tue ) 他に何て言ってやればいいのかわからない。気を揉んでいる間に、エランが口火を切った。 「顔の傷痕がどうやってできたか、聞きたいか」不意打ちだ。セリカはどもって答える。 「き、そりゃ教えてくれるなら、もちろん知りたい……けど、あ、後の方がいいんじゃないかしら。移動が先決よね?」 言い終わってから、急かしているように聞こえただろうかと気がかりになった。 「それもそうだな」 ところがエランはあっさり同意した。ほっと胸を撫で下ろして、セリカも支度にかかる。 もっと休んでいたいと駄々をこねる馬を宥め、まさに騎乗しようと鐙(あぶみ)に足をかけた瞬間。また、鳥の鳴き声が響いた。 無視して出発できれば良かったのだが、エランの首は既に声のした方を向いていた。渋々とセリカも同じ方向に注目する。 隼に猛追するのは、コンパクトな外観の白馬と、甲冑姿の騎手。その男は真っすぐにこちらを目指して駆ける。 馬蹄が土を散らすさまをぼんやりと見つめ、どうしたものかと一考する。ここまで迫られてはもう選択肢が限られている。 ある程度の距離を開けたまま、男が馬を降りた。その時を待っていたかのように、隼が彼の腕に華麗に降り立つ。 「ご婦人方。お訊ねしたいことがあるんですが」 男は会釈し、毅然とした態度で問いかけて来た。無意識にセリカはエランの背中側の裾を掴んだ。 (エランが答えたらご婦人じゃないってばれる) 敵意が無いとの表れだろう、男は鉄兜を脱いで見せた。 そこに、しばらく目にしていない類の顔立ちが現れた。四角い輪郭と太めの首、白い肌と色素の薄い唇。全体的に彫りの深い印象で、眉骨がやや吊り上がって見える。短く整えられた濃い茶色の髪は、巻き毛よりもくせ毛という表現が似合う。 ヘーゼルに彩られた目は直線を繋いだみたいな角ばった形で、そう、ちょうどセリカ自身のそれと雰囲気が似ている。 「イルッシオ」 しまった、と口元に手をやった時には遅かった。名を呼ばれた青年は複雑そうに目を眇める。 「面白い格好ですね、姉上」 「うっ、うるさいわね。これにはランディヴァ湖よりも深い理由があるの。それより何であんたがいるのよ、オクタヴィオが飛んでたからお兄さんが来たかと思ったじゃない」 身内だとわかった途端に互いに口調が崩れた。 ちなみにセリカに指をさされたオクタヴィオは、くりっと鳥類特有の動きで首を傾げてから、我関せずといった具合に嘴で羽を整えている。 「まさか。アウグロン兄上はご多忙の身っすよ、だから代わりに俺が迎えに来たんじゃねーですか」 「あんたひとりで?」 「他は離れた場所で待たせてるっす。ぞろぞろ大人数を連れて現れたら、姉上は話も聞かずに逃げ出すでしょ」 「さすが我が弟、よくわかってるじゃないの」 「姉上は我が強いですから、大抵の使者には聞き耳持たずに追い返してしまうからと、わざわざこの俺が出向いたわけです。愛されてるっすねー。兄上も人使いが荒いですよ。これじゃあいつまで経っても、遊んで暮らす夢が実現できない」 「またそんなこと言って……お兄さんにパシられるの楽しいくせに」 「楽しくなんてねーです、よっと」 イルッシオはふうとため息をついて、腕から隼を飛び立たせた。彼の視線が残る黒づくめの人物に流れる。 「『迎えに来た』……?」 呟きながら、その者は被り物を脱いだ。明らかになった面貌は、考え込んでいるように深刻だ。 「あ、エラン、帰るわけじゃないから」 反射的にセリカは弁明を試みる。 「『エラン』? では、貴殿が姉上の」 イルッシオがその名に鋭く反応を示した。あろうことか、腰の鉄剣をスラリと鞘から抜いて構えたのである。 「ちょっとイルッシオ!? どういうつもり!」 「バルバティアが帰国しまして」 剣先がエランの顎下に触れた。セリカは、ひゅっと心臓が縮まる想いがした。 当のエランは瞬きひとつせずに冷ややかに応じる。 「侍女殿は、何と?」 「バルバの話はどうも要領が得られなくて……それは置いといて。要するに、我が国の大公世子は頭より筋肉でものを考える傾向にありましてですね。姉上が体を張ってでも傍に居たかった御仁を――そうするに値する人間かどうか、見極めて来いと俺に命じたわけです」 「…………わかりやすくて何より」 気が付けばエランまで、あの曲がったナイフを抜き放っていた。 |
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