39.g.
2015 / 01 / 31 ( Sat )
「仮に対象が聖獣だとして、その大いなる存在と意識を共有する必要性は何なんだろうね」
「行き先を知る為ではないのですか? 直接導かれるのであれば情報漏れも防げますし、個々が別の道を進めば部外者に聖獣の眠る場所も隠し通せますし」
 ミスリアは歩を緩めて考え込んだ。

「それも一理あるけど、別の攻め方をしよう。僕は塔の聖地に踏み入っても何も感じなかった。きっとナキロスの地――最初の巡礼地、を通っていないからだと思う」
 心なしかカイルの声が遠くなっている。
 顔を上げると、自分の所為で二人の青年が立ち止まっているのに気付き、ミスリアは急いで追いついた。

「なるほど、そうだったんですね。ナキロスの教会は、どうして最初の巡礼地に選ばれたんでしょう」
「昔は違ったみたいだよ」
 ある時を境に教団が岩壁の教会を始めの聖地として推奨しているだけで、昔は別の場所だったりしたらしい。

「その理由を訊いて回っても知ってる人はほとんどいなかった。でも引退した元枢機卿猊下と会った時、あの人は教えてくれた――」
 始めの聖地は帰納的論法によって定められるという。条件は、その場で大いなる存在と同調できた人数がより多いことだ。理屈など関係ない、多くの人間がその地で大いなる意思に触れられた事実さえがあれば事足りる。
 同調という単語にミスリアは反応した。刹那の間、教皇猊下のご尊顔が脳裏を過ぎる。

「聖地巡礼の本来の目的は、個人が聖獣と霊的な繋がりを確立する為だと思う。それが完全になるまで巡り続ける。だからきっと、一人一人が巡る聖地の順番も総数も違うんじゃないかな」
「霊的な繋がりを確立する為…………」
 相変わらずカイルの説く論は、一言ずつがすんなりと腑に落ちるようだった。

「結局、繋がりを持つことに何の意味があるのかまではわからないけどね。もしかしたら繋がることそのものが目標で、それができれば聖獣に蘇るように呼びかける力や権利を得るのかも」
「どうなんでしょう。ちょっと私には難しいです」
 ミスリアは苦笑を返した。
「聖人聖女たちに教団がどうして何も教えてくれないのかなら、わかる気がする」
 そう言って友人はまた微かな笑みを浮かべた。ミスリアは首肯した。

 霊的な現象に関しての口頭での説明には限界がある。頭での理解と全身全霊で感じ取るのとでは重みが違う。
 加えて、先入観なしに肌で直に感じ取るのが最も望ましい。「ここに立てば何か感じるよ」と言われた後では、感じたことの大部分が思い込みに占められてしまう。
 だから教皇猊下はあの時、とにかく聖地に行ってみなさいと助言して下さったのだろう。

「話は変わるけど、ミスリアは道中、魔物信仰の人に会ったりしなかった?」
「いいえ。旧信仰の方々にならお会いしました」
「ああ、対犯罪組織に出くわしたって言ってたね」
「彼らは組織を『ジュリノイ』と名乗りました」
「ジュリノク=ゾーラ、『正義を執行する神』を掲げる集団。今の教団にしてみれば絶対に分かり合えない連中らしいね」

 ちょうどその時、少し前を歩くゲズゥが止まって振り返った。

(こっちの会話なんて興味無さそうだったのに)
 これまでも聴いていない振りをしていただけだったとは思うけれど、一変して、彼は聴き入るように僅かに上体を傾けた。

「まあそれ以上に魔物信仰の人は凶暴だってね。最近、僻地で不穏な動きを見せてるって……はち合わないならそれに越したことはないよ」
 魔物信仰という言葉は、久しく耳にしていない。修道女課程での授業以来だろうか。ヴィールヴ=ハイス教団とは主旨が度々衝突しがちな旧信仰に比べ、魔物信仰は聖獣信仰のまごうことなき敵対思想だ。

 確か魔物信仰は旧信仰などよりもずっと、詳しいことは誰にもわかっていないはずだった。謎に包まれている理由は信者の少なさよりも、彼らの秘密主義による。

(どうして魔物を崇めるのかしら)
 全く共感できない。哀れと思うことはあれど、信仰の対象にするなど――。
 恐怖が畏怖に、畏怖が憧憬にすり替わるようなものだろうか。

 或いはカイルが調査している、人々の魔物に対する認識を突き詰めた先に答えがあるのではないか。
 約束事へ向かう彼と別れた後ももうしばらくミスリアは道端で考え込みたかったが、冷たい風に打たれてハッとなった。

「私たちはこれからどうしましょうか」
「さあ」
 ゲズゥからは全く何も考えていなそうな返事があった。では、とミスリアは案を出す。

「今日こそ沼地に行ってみてもいいですか?」
 帝都に着いた初日に熱を出してしまって訪れるのを断念していた、沼の聖地。
 最後に雪が積もってから数日が経ち、晴れた日も続いていた。歩きづらい雪道の面積は減っているはずだ。沼そのものが凍っている可能性は否めないとしても、近付くくらいはできよう。

「わかった」
 早速ゲズゥは大股で歩き出した。置いて行かれないようにミスリアは小走りで応じる。
 ややあっていきなり青年は立ち止まり、左肩から振り返った。今日は「呪いの眼」を隠す黒いガラスを入れていないらしく、左眼は金色の光の粒を含んでいる。彼は何かを吟味するようにミスリアを眺めた後、呟いた。

「背負ってやろうか」
「……じ、自分で歩けます!」
 声を上げて反論する。
 悔しいような恥ずかしいような、妙なこそばゆさを拭わんとして、足早にゲズゥの傍を通り過ぎた。

「また倒れるなよ」
 どこかしら笑いを含んだ声音だったが、気のせいに違いない。
「その節はありがとうございました!」
 風邪なんてもう引かないもん、大体子供じゃないんだから、切迫してない時まで運ぼうとするなんてひどい、女の子を何だと思って――と頬を膨らませてから気付いた。

(まさかとは思うけど事務的に訊いてたんじゃなくて、からかったのかしら)
 でなければどうして自分は真っ先に怒ったのだろうか。
 後ろを見やると、青年はコートのポケットに両手を突っ込んで佇んでいた。表情から読み取れる情報は皆無である。

 根拠もなく何故からかわれたと感じたのだろうか。問うように見つめても、彼は瞬くだけだった。
 疑問符を回収できないまま、ミスリアは再び前を向いて歩き出した。

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