26.b.
2013 / 09 / 05 ( Thu )
「ほほう。それは聴きたいな。楽器を使うか?」
「では竪琴(ライアー)をお貸し下さいませ」
 楽師たちが扱っていた楽器は一通り見ている。その中で一番扱い慣れた物を選んだ。
「よし、楽師ども! 聴こえただろう、貸してやれ」

 ウペティギの命令に応じて、楽師の一人が歩み寄ってきた。同時に、ミスリアの手錠が兵士の手によって外される。
 竪琴を受け取ると、ようやくミスリアは少し顔を上げた。

 城主ウペティギを含む五人の貴族風の男性が瞳を期待に輝かせている。彼らの視線が自分の腰周りに集中している気もするけれど、それに関しては考えないことに決めた。

(聖歌の類は避けるとして……民謡がいいかしら。共通語版)
 いくつか暗唱できる歌から適当に一曲を脳裏に浮かべ、音程を確認する為に竪琴の弦を専用の爪(プレクトラム)でそっと弾いた。足を少し横にずらして床に座す。スカートがふわりと大理石に広がった。

 部屋の中は既に静寂に包まれている。弦の音色だけが響いた。
 ミスリアは弦の音程に合わせて少しだけ声を出した。喉が渇いているゆえ、歌う時に音をきれいに伸ばせるか不安はある。せめて声量だけでも高めようと、腹式呼吸を繰り返した。

 もう準備もこれくらいでいいだろうと思えた時。
 聞き手に向かってまず小さく礼をした。
 それから短い序奏の後、歌い始める。

 ――それは浜に打ち上げられた人魚姫と、彼女を見初めた平凡な漁師の悲恋物語を綴った歌であった。

 とある辺境の島、何の取り柄も無い漁師はある日、仕事帰りに美しい人魚姫を見つける。漁師は人魚のこの世のものとは思えない美しさに心奪われ、思わず連れて帰った。そしてなけなしの金で広いバスタブを買い、村の反対を押し切って人魚を家に住まわせた。

 漁師は彼女の気を引こうと毎日のように花を贈り、手作りの料理を食べさせ、自身の知る限りの面白い話をたくさん聞かせた。人魚姫はそんな漁師の一途な想いに心打たれ、いつしか同じ想いを抱えるようになるが――。

 十数日も過ぎると人魚は唐突に病に臥した。元々深い海で生活していた人魚には、水圧の低い世界は毒だったのだ。これまでは元来の強い生命力が支えだったが、人魚とて不死身ではない。
 海に帰すべきか、無理にでも傍に留めるか。漁師は迷い苦しみ、刻一刻と死に近づく恋人を泣きながら看ていた。人魚はそんな漁師を最期まで憎まなかった。

 ――憎いだろう、私が。独りよがりで愚かで、こんなになってもお前を手放せない私が――

 ――いいえ、わたくしは幸せです。自由を失っても、あなたさまに愛されて、とても充たされた日々を過ごせました。故郷もとても楽しい所でしたけれど、きっとこんな想いに出逢うことなく、長く平坦な一生を生きたことでしょう。わたくしに後悔はありません。短い間でしたが、とてもとても感謝しております――

 やがてその瞬間は訪れた。
 後に漁師は、人魚の遺体を浜辺で燃やし、灰を海に還した。彼女は以前から、そのように葬送して欲しいと話していた。

 漁師は最愛の者の鱗だけを何枚か集めて、首輪を作った。彼は己が土に還る日まで、それを肌身離さず付けていたと言う――。

 竪琴の音色の余韻が空気を震わせる。
 部屋中の誰もがそれに浸るように身動きしない。
 微かな振動すら消えてなくなった時――力強い拍手がミスリアの背後から聴こえた。

「見事な歌だ」
 低いバリトンの声。振り返ればそこには、三十歳程度の中肉中背の男性が立っていた。男性は脇に巻物を抱えている。灰茶色の口髭と肩ぐらいの長さの髪、そして右目にかけているモノクルが印象的だ。服装や立ち居振る舞いに不思議な気品が漂っている。

「漁師の選択は残酷だな。心底愛しているのならば、別れが辛くとも海に帰すべきだった」
 真剣な面持ちで男性は言った。ミスリアは突然現れたこの人に相槌を打って良いものかわからず、笑って礼だけを返した。彼もやんごとなき身分であるならば、「奴隷」の身では軽々しく返事をできない。

「民謡か? 人魚を題材にしたお伽話などあまり聞かない。そなた何処の出身だ?」
「ファイヌィ列島です」
 こちらははっきりとミスリアに向けられた質問だったので、躊躇せずに答えた。俯いたまま、目線を合わせることなく。

(しまった。嘘をつくべきだったかな)
 そう考えて、すぐに思い直した。嘘の故郷を挙げて何か踏み入った質問をされれば、どのみちボロが出る。

「設計士。来ていたのか」ウペティギはモノクルの男性に向かって一度頷いてから、ミスリアに向き直った。「確かに見事な歌だった。して、お主いくつになる」
「次の春には十五になります」

「ほほう。歳の割には言葉遣いが丁寧で発音がはっきりしているな、学があるのか?」
「………………修道院にて何年か学びました」
 迷った末に、ミスリアはそう答えた。

(嘘はついてないわ、嘘は)
 確かにアルシュント大陸では、平民以下が修学できる場所といえば修道院、と言うのが一般常識である。ただし主に字の読み書きの為に何年か送り込まれる大抵の人間と違って、ミスリアは聖女過程まで修了しているが。

「そうかそうか。それは良い――」
「ウペティギ様、少しお時間頂けますでしょうか」
 設計士と呼ばれた男性が臆せず城主の言葉を遮った。

「何だ、こんな時に。新しい罠でも考案したのか?」
 城主は若干苛立たしげに答える。
「そのようなものです」
 対する設計士の返答は早口で曖昧だった。

 ふいに背後から紙がカサカサと乾いた音を立てたかと思えば、誰かが脇を通る気配を感じた。
 すれ違いざまに、ミスリアの頭上にバリトンの声がかかる。

「本当に、見事な歌であった。機会があれば、また聴かせてくれ」
 思わずミスリアは視線を動かした。
 一瞬だけ、目が合う。

 彼の濃い灰色の両目を過ぎった感情は、何故か「憐れみ」に見えた。

(悲しそうな人)
 気が付けばミスリアは「設計士」に対してそんな感想を抱いていた。

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