続きを読む06 こういう他人を友と呼ぶべきか「何だ、死んだのか? 天下の大罪人といえども、呆気ないな」
乱暴に揺すり起こされて最初に聴いたのはからかうように笑う若い男の声だった。視界がぼやけて、目の端から熱い涙が勝手にこぼれた。後頭部が鈍く痛む。どうやら気絶していたらしい。
「まさか私がお前を助けることになるとはな。普段と逆だ」
男の靴の踵が、肩に当たっているのがわかる。なるほど、揺すり起こされたというより蹴り起こされたのが正しいのか。
ゲズゥはしばらく黙っていた。起きたばかりなのもあるが、それより男の名前を思い出そうと集中している。確かに最近覚えたはずだ。
「――オルト」
呼ばれた男は返事をする代わりに手を差し伸べた。ゲズゥはその手を凝視するだけで取ろうとしない。
「お前、何か勘違いしているだろう。過信ともいうか」
相変わらず笑っているが、藍色の双眸は珍しくシビアな影をたたえていた。
意味がわからず、ゲズゥは目を細めるだけにした。
「ゲズゥ・スディル、お前は確かに強い。だが、人間だ。一人無茶をし続けていつも生き延びられると思うなよ」
今朝方、単身敵地に乗り込んだことを指しているのだろう。三十人倒したところで、残った何人かに不意をつかれたのだった。その後の記憶が無くて、今に至る。
「別に思ってない」
記憶の断片を繋ぎ合わせてわかったことだが、事実、自分は窮地に陥り、もしかしたら死ぬところだったかもしれない。勝手に助けたのはそちらの方だ。
「ほう、ならば死に急いでいると」
「……誰が」
「違うのなら自覚しろ、己の限界を。あまり心配かけるな」
オルトは口元を歪ませた。まったく心配していた風に見えない。どうせ、ゲズゥが死んだら死んだでその事実をいくらでも利用する計画を立てているような男だ。聴く耳持つだけ無駄。
「さて、この借りはどう返してもらおうか。なんなら恩師と呼べ」
「鬱陶しい」
半ば投げやりに言って、ゲズゥは自力で起き上がった。
07 将来設計
その日の午後は空が暗くなったため、来る雨に備えることにした。
先にゲズゥが、倒れている大樹の太い根幹の下に屈んで入った。ミスリアが続く。二人は土の上にそれぞれ腰をかけて、間に荷物をまとめて置いた。
数分もしない内に、小雨が降り出した。
「水筒は」
「はい、ここに」
ゲズゥの言わんとしていることが伝わったのだろう。ミスリアは空の水筒の蓋を開け、雨水を貯め始めた。日本の水筒が一杯になると、蓋を閉めた。
「後は食べ物を確保しなければなりませんね」
ぽつりと、ミスリアが呟いた。
「何か狩るか」
目を合わせずに提案する。
「狩りの道具あるんですか?」
「罠を作る」
勿論その気になれば他にも道れるが、ゲズゥは元々飛び道具の扱いが苦手なため、罠を好んで使っている。大型の動物もそれなりの成功率で獲れる。
「何かお手伝いできることがあれば言ってください。残念ながら、私は狩りはあまりしたことがありませんけど……」
「漁は?」
前に島育ちだと言っていたのを思い出したので訊いてみた。
「網を使った漁ならお父さまとよく行っていました。お父さまは銛打ちも得意で」
懐かしそうに語るミスリアを、ゲズゥは横目に眺めた。
「漁師の家だったのか」
少しだけ意外に感じる。普通なら、いずれはどこかへ嫁に行くのが自然な将来設計だったろうに。
それをわざわざ聖女になろうと考えたのには、何かしらきっかけがあったはずだ。
「そうです」
返事はたった一言。
それきりミスリアは口をつぐんだので、ゲズゥも特に追求しなかった。
その頃には、大雨になっていた。
08 チームワーク
「――獣の臭い」
ゲズゥが口にしたら、先を歩いていた黒髪の男が静止した。
そうしてエンは鼻をスンスンと鳴らして午後の山の空気を嗅いだ。
「山猫か。よく臭いに気付いたな」
「どうする」
問いつつ、ゲズゥは未だに眠り続ける少女を背中から下ろして地面にそっと寝かせた。
「やり過ごすのがベストだな。下手に殺して血の臭いを広げるのはマズイ。奴ら縄張り意識は強いけど、これまで襲ってこなかったってことは今んとこやる気が無いのかも。幸い、山猫は群れない動物だ」
振り返りざまにエンが答えた。
的確な判断だ。ゲズゥは頷いて同意を示した。
前方の巨岩の上に、それぞれ全長7フィート以上の黄褐色の塊が二つ現れた。二匹の山猫はしなやかな動きで岩を登り、真っ直ぐこちらを見据えている。
「げ、番(つがい)だった……。ちなみにお前、投擲の腕に自信は?」
僅かに怯んだエンが、訊ねる。
「皆無だが」
質問の意味はすぐにわかった。直接やり合わずに追い払いたいなら、遠距離から牽制するのが一番だろう。
「そーか。オレもあんま得意な方じゃないんだよなぁ。うーん、じゃあ、こうするか」
エンは山猫から目を離さずに、後退った。
「そこら辺の石拾ってこっちに投げてくれたら、オレが鎖ぶつけて飛ばす。狙いは定まんないけど、ただ投げるよりは距離稼げると思うぜ」
「なるほど、悪くない」
「だろ? 合図するから、頼むよ。あ、あと万が一アイツらが逆上して襲ってきたら、雄はお前が倒せよ。オレ小さい方にする」
きしし、とエンが左頬の模様を歪ませて笑う。
ゲズゥは返事の代わりに身を屈めて石を拾った。
09 毎年五月には
「なーんでこんな事しなきゃなんないんだよ」
少年トリスティオはぶつくさ文句を言いながら、木製のポールにリボンを取り付ける手を止めた。日が昇って間もない時刻に起こされて、これだ。去年までやらされた広場掃除の方がまだよかった。
大人の前だと大人しく口数の少ない彼だが、今この場には幼馴染の少女、ツェレネしかいない。
「もう、トリスってば文句言わないのっ。祭の準備は皆手分けしてするものなんだから。メイポール・ダンスは五月祭の一番大きなイベントだよ?」
隣で同じ作業に没頭していたツェレネが口を尖らせる。そういう顔をしても可愛いのは、ズルいと思う。
「わかってるって、レネ」
「そんなこと言って、わかってないでしょー」
立ち上がり、彼女は腰に手を当ててトリスティオを覗き込んだ。鮮やかな赤い髪が弾みで揺れる。
「一昨年みたいに事故があったらどうするの。ちゃんとやらなきゃダメなんだからね」
「あー……」
一昨年の五月祭。集落の子供たちがリボンを手に持ってポールを回る踊りの最中、そのリボンが何本か抜けたせいで、転んだ子がいた。転んだ子に足を引っ掛けて更に転ぶ子供もいて、最後にはポールが傾き大騒ぎになった。幸い、誰も大事には至らなかったけれど。
「……わかってるって。ちゃんとやればいいんだろ」
「うんうん」
トリスティオは中断してしまっていた作業に戻った。
もしも自分が手を抜いたら――。
泣きじゃくる小さな子たちを想像すると、何だかやるせない気持ちがこみあげてきて、どうも真面目にやりたくなるのだった。
10 それでも一緒にいたい
とける。暑くて溶ける。
唸りつつイトゥ=エンキはベンチの上で寝返りを打った。町の中というのは一見木陰が多いように見えて、全然だめだ。こんなことを考えたくはないが、ユリャンの鬱蒼と茂った林道が恋しい。
「エンくんエンくんエンくん」
ふいにすぐ近くで女の子の声がした。直後に別の「もようのおにーちゃーん」と呼ばわる男の子の声が聴こえた。何かがズボンの裾を引っ張っている。
「んあー、何だよオマエラー、陽射しの方に引っ張るなって頼むから」
億劫そうに答える。すると子供たちが飛びついてきた。
「ネコ! 落ちそう、たすけて!」
イトゥ=エンキの腹の上で飛び跳ねながら必死に上を指差している。
「猫~?」何気なく目線で探してみると、小さな鈍色の塊が確かに真上の樹の枝からぶら下がっている。あんなにバタバタと余計に暴れたら状況が悪化するだけだ、と思っていても猫には教えてやれない。
「キャッチ! してあげて!」
「マジ? オレびみょ~に猫アレルギーなんだけど。近付くのは平気、一瞬ぐらいなら触れる、でも抱き留めるとなるとやばい」
そう主張しても、子供の耳には入らなかった。
「あー、落ちるー! エンくん早く!」
仕方なくイトゥ=エンキは起き上がりかけた。同時に、毛玉がべちっと顔面に落下してきた。
何だそれ、キャッチも何も無いじゃん――と突っ込んでいる場合ではない。猫の毛がもっさりと目や鼻に入った。手遅れだろうが、それでも引き剥がそうとして――
「ぶえっくしょん!」
子猫の腹にくしゃみをした。それを引き金に、涙と鼻水がだばーっと溢れる。片手の裾で雑に拭った。残った手はまだ猫を引っ掴んでいる。
「ぼくも抱っこしたい」
「くれてやるっていうか早く取ってくれよ。暑苦しいし」
「でもネコちゃんエンくんにべったりだよぅ。好きなんだよきっと!」
「はあ、何? よりによって懐いたっての」
返事をするように子猫はミャー、と甘えた声を出した。
[6回]
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