3-1. f
2018 / 11 / 13 ( Tue ) 促されるままに屋内に入ると、そこでは先ほど見かけた女性三人組が歓談していた。通りすがりに会釈を交わして、唯美子は隅の席に腰を下ろす。 織元から渡された手ぬぐいとしいたけ茶を手になんとか人心地がつく。けれど頭の中はつい先ほどまで見ていた白昼夢でいっぱいだった。まとまらない思考、次々と沸き上がる疑問。ざあざあと激しく降り注ぐ雨の音が、心のざわめきを余計に掻き立てる。 (いまどき年貢を収めてる地域なんてあったっけ? もっと昔の時代なのかな) 知らない日本と、知らない彼。訊いたら答えてくれるだろうか。 それとも二百年近くナガメと知り合っているという、ちょうどいま近付いてきているこの男性なら、答えを持っているだろうか。 「織元さん」 「はい?」 彼が隣の席に腰を掛けてくるより早く、声をかけた。長髪の美丈夫は艶やかな黒目で見返してくる。 「わたし、気を失ってたんですか」 「そうですね。すぐ傍に落ちていた小瓶の欠片で、何が起きたのか察しがつきましたが」 「あの小瓶は何なんですか……あやしい術がかかってたんですか」 言ってから、詰め寄りすぎたか、余裕のない訊き方だったかなと反省した。卓の上で乗り出していた上体をさりげなく引き戻す。 ところが織元の方から距離を詰めてきた。互いに吐息がかかりそうな近さで、彼はフッと口角を吊り上げた。 「この茶屋では茶や菓子や茶葉のほかに、ちょっとしたサービスを提供しておりまして」 「裏メニューみたいな」 「ええ、そんなものです。私の本性を知らずとも『すこしふしぎな品揃えの店』とニンゲンたちの間にも噂が広まっています」 目を輝かせて織元は語った。いままでに解決したトラブルや、処方した薬について。 「あの小瓶は試験的に作っているもので、いくつか試作品があるのですよ。対象の記憶を抜き取って、本人が意識していない細部まで磨いて顕現させる術です。本来、記憶とは断片の寄せ集めですからね。正確性が次第に落ちるのはもちろん、感情との結びつきによって意図せず改ざんされることもありましょう。紡がれた場面を己で見つめ返して懐古に浸るもよし、誰かに渡して共有するもよし」 「……ではあなたは、あの子を実験台に」 織元が無言でにっこり笑ったのが答えだった。中身も見たのですかとおそるおそる問うと、整合性を確かめる必要がありますから、と至極当然そうにうなずかれる。それから織元は意味深に顎に手を添えた。 「割れた瓶の内容は一場面でしたね、確か」 「もしかして続きもあるんですか!?」 「あるとすれば、どうします。紐解きたいですか、ミズチの旧い記憶を。そこにどのような痛みや激情が含まれているのか興味がおありでしょう」 それは、と唯美子は口ごもった。甘やかな言の葉が、半ば誘導尋問のようだと気付けずに。 「試作品は無料で提供いたしますよ」目にも止まらぬ速さで織元は小瓶を五、六本取り出し、卓の上にずらりと横一列に並べた。「順序不同です。初期に作っていたものは断片的で内容が整理されていないのが難点ですが、どれからでもどうぞ。目にさしてご利用ください」 もはや押し売り販売――いや、販売ですらないのか。 「待ってください!」 色とりどりの小瓶の列に視線を張り付けていながら、唯美子の脳裏には、ラムの言った「本人の知らないところでする話じゃない」という言葉が浮かんでいた。首を傾げる織元に、つたない言葉で己が躊躇する理由を語る。 「ああ、ご心配なく。他者に見られて心底困るものを、実験に出したりしないでしょう。もっとも我々の間にはそんな思いやりや気遣いがありませんので、ユミコ嬢がマナーに反すると気にしていても、私はまったく気になりません」 ――見られて困らなくても、進んで他人に開示したい過去とは限らない。 なおも抵抗する唯美子の手を、美丈夫はさりげなく取った。思わず息を呑むほど冷たい手だ。黒い瞳に刹那の燐光が浮かび上がる。 「構いません。こうした方が面白い結果を生みそうなので、勝手ながら手を打たせていただきます」 手を打つってどういう――。 声が出なかった。視界がスローモーションにたわんでいく。意識が遠ざかるわけではなく、見える世界が作り替えられている。 「目を開けたまま眠るような感覚でしょう。ごゆっくりどうぞ」 耳元に聴こえたひと言の言いしれぬ不気味さに、指先が震えた。 後ろめたく思う。けれどそれ以上にナガメとラムのかつての物語の結末を知りたくて、唯美子は好奇心のままに記憶の奔流に身を任せた。 |
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