2-1. c
2018 / 06 / 23 ( Sat )
「ああ言えばこう言う! いけ好かない奴だよおまえさんは」
「ひよりに好かれたいと思ったこたぁないなー」
 そう返してやると、女は額を押さえて深くため息をついた。動きにつられて、かんざしの先についている金色の扇子を模した部分がしゃりんと揺れる。一瞬そこに視線が釘付けになった。こういった細やかに動きは、つい目で追ってしまう。

「おまえたち人外は厄介だよ。『蛟』ほどの個体ともなれば、悪意や真意を悟らせないようにうまく隠せるだろ? まあ……ゆみが気に入ってる時点で、たぶん悪意はないのだろうね。あの子には、そういったモノが視えてしまうから」
「わかってんじゃん」
 ミズチは数歩の距離を保ったままに、中庭でごろんと横になった。逆さの視界の中で、ひよりを見上げる。

 目の前のこの和服女は、おそらく既に己の寿命の半分以上は生きているという。その面貌には皺もあればシミもあり、笑っていない間は、全体的に皮膚が緩やかに垂れているように見える。
 大抵の生物には当たり前に訪れる、老い、というものの一環だ。老化現象に取り残されたミズチには掴みづらい概念だが、どうやら漆原ひよりはそれなりに老いているらしい。

 それが能力の衰えと同義かは知れないが、少なくともこの家を囲って張り巡らされた微かな結界の糸はなおも頑丈だ。術者と命をかけてやり合う気がなければ、簡単に破れるものではない。
 ゆえに、術者の許しを得るか唯美子が自ら出てくるまで待つしかない。いつものことだ。よほど目を凝らさなければ見えないこの銀色の糸は、許可なく入ろうとする侵入者を拒むが、内から出ようとする住人をあっさりと通す。

「どうして、そんなにしつこいんだい」
「ゆみが好きだからじゃねーの」
 と、感慨のない声で答える。
「信じられないね。獣《ケモノ》が何の見返りも求めずに、自分よりずっと弱い生き物に愛着が沸くものかね」
「さー」

「おまえさんのそれは、庇護欲じゃないか」
「なんだそれ」
 ぐるんと反転し、肘を支えにして上体を起こす。ひよりは縁側に座したまま前のめりに身を乗り出し、胡散臭いものを見るような目で言った。
「ゆみを愛玩動物《ペット》みたいにかわいがってるつもりなんだろ」

「ペット? ってなんだ。眷属みたいなもんか?」
「いや。上下関係はあるけど忠誠とか家族じゃなくてもっと生活の上で依存した……ああもう、どうせわかりゃしないのに、説明がめんどうだね」
 女は諦めたように膝の上に片手で頬杖をつく。

「よくわかんねーけど。なんびゃくねんの生の中でニンゲンに善意をもらったのは二度目だ。もっと観察してみたいと思ったのも、な」
 さわっ、と木の葉が風に揺らされてこすれ合う音がする。
 放たれた言葉の意味を咀嚼する間、女は値踏みするような目でこちらを見下ろした。

「いいじゃん、あそぶだけ。おいらがついてんだ」
「おまえさんはそれでよくても、ゆみには異形にかかわってるだけでも危険なんだ。理由はわかっているくせに」
「けどあいつ他にともだちいないだろ。ほっといたら夏中家からでないんじゃねーの」

 ひよりは何か言い返そうとして口を開き、一拍して、唇を閉じた。事実であるから、反論を持っていないのだろう。
 そのうち、家の中から「おばあちゃーん」と呼ばわる少女の声が響いてくる。
「……仕方ないね」
 迷いの残る目で、ひよりはこちらから視線を外した。


 回想はそこで終わりだ。
 あの頃と同じ姿のミズチは、黒い墓碑の前で頭をかいた。

「踏んでも平気そーなやつだったのに……『がん』かあ」
 病気というものは、頭では理解できても真に実感を抱くことはできない。
 ひよりが息を引き取って間もなく、あらかじめ設定してあったらしい式神が発動して、ミズチの元まで飛んで彼女の死去を報せてくれた。術式とはいえ遠く離れたギリモタン島までは時間がかかり、更にミズチ自身が日本まで来るのにもそれなりの時間を要した。

「遅れてわるかったな。おまえとのやくそくも、ちゃんとまもるよ」

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