1-3. e
2018 / 05 / 15 ( Tue )
「え? そんな怖いこと考えてないよ。ただ、あの人たちは悔い改めも償いもしないのかな、って」
 ナガメは不可解なものを見るような顔をした。子供の姿の時の表情をそっくりそのまま大人にしたようで、不思議だ。普通は、誰かが年を重ねる前後の姿を見比べる機会は写真や映像の中でしかない。

「たとえばコモドオオトカゲが人里に降りて人を喰い殺した時、その個体に悔い改めて欲しいと思うか」
「なんでそんなマニアックなたとえなの」苦笑する。「えっと、思わないかな」
「な、人を喰った動物は退治するか、遠くに追い払うかするだろ。害獣だっつって。種をまもりたいなら、不安要素は放っておけない」
 ――言われてみれば、そうだ。

「でもコモドオオトカゲとは意思疎通ができないよ」
「さっきのやつらとだって、言葉が通じても意思疎通ができるかはわからないぜ」
 それで遠くへ追い払ったのかと思えば、どこか納得できそうだった。でもこの場合は唯美子にとっての遠くであって、人里に届かないようなところではない。また犠牲者が出ることは十分に可能だ。そう漏らすと、ナガメは二匹のトンボたちを指先にのせて遊びながら、実にどうでも良さそうに答えた。

「人類のことは人類がどうにかすればいーだろ。俺がまもるのは、ゆみだけだ」
「そ、そう」
 感覚の不一致に、越えられない溝を感じる。先述の通り、言葉が通じても理解し合えるわけではないのだと思い知らされているようだ。
 けれど彼は助けてくれた。今はそれだけに、感謝すべきだろう。

「ナガメ、ありがとう。ごめんね忘れてて。十七か十八年前のことだから」
 難しいことを考えるのはやめだ。昔そうしてもらったように、今度はこちらから彼の手を握る。
 握り返してきた指は記憶の中のそれと違って骨が太く、慣れない感触だった。心臓が二、三度大きく跳ねる。
 作り物の温もり――ぬるま湯のようで、触れているとなんだか気が楽になる。
 ニヤリ、青年は片方の口角だけを吊り上げた。

「やーっと思い出したか。まあ、思い出せなかったのもたぶん、ひよりの術のせいだろーな」
「また、おばあちゃんの術――」
 タイミングを見計らかったかのように、地鳴りのような低い轟きが響いた。と言うのは大げさで、実際はただの腹の虫だったが、恥ずかしい。いいかけていた言葉を飲み込み、唯美子は耳元の髪を指先でいじった。
 歩いて帰らないかと提案する。ナガメは手を振って却下した。

「何時間かかんだよ、それ。川でも使った方が早くね」
「川を使うという発想がまずよくわからないのだけど。あ、そうか! きみ、蛇の姿にもなれるんだよね」
 そう言ってぽんと手を叩き合わせた時、何かもうひとつ大事なことを思い出しそうになったが、空腹のせいかうまく頭が回らない。

「ん。『蛇』は手の平サイズ、『蛟』だと全長十メートル。ミズチっつってもその単語が一番わかりやすいから使ってるだけで、記録の中の蛟と比べて、独自の生態があるから」
「自分のこと、生態とかいうんだね」
「生態は生態だろ。だから、蛟の姿なら川」
「待って。きみが何を言おうとしているのかわかってきた。やっぱり、タクシー呼ぼう」

 両手を突き出して制止を呼びかける。いくらナガメが一緒とはいえ、水辺や鱗はできれば触れずにいたいものだ。
 ふいに静寂があった。もしや、断ることで傷付けてしまったかと焦る。
 唯美子が少し上に目線を上げると、そこには、難しい顔をして額を押さえる青年がいた。どうしたのと問いかけると、ナガメは歯切れ悪く言った。

「いや……たくしぃってなんだっけなって。車の種類なのはおぼえてるけど。うーうー鳴るやつか?」
「タクシーは鳴らないよ。お金を払って車で快適に送り迎えしてもらうシステム……?」
 乗ればわかるから、と唯美子は思わず笑って返した。

     *

 外食は節約の敵だ。多少の空腹を我慢することになろうとも、自炊がベストの選択と言えよう。
 残り物のご飯に冷凍野菜を加えてサッと炒飯に仕立て上げ、卵でとじる。後は豆腐とワカメたっぷりのみそ汁でたんぱくを補えば事足りる。
 ごはんできたよと呼ばわりながら振り返ると、なんとちゃぶ台の前に、七歳くらいの少年がちょこんと座っていた。危うく皿を取り落しそうになる。

「いつの間に縮んだの!」
「体積を減らすへんげは四十秒でできるぜ。外皮は特殊仕様でみずにとけるから、トイレにながしとけばすむし」
「うわあ……」ドン引きだ。この話題はあまり引きずりたくなかった。唯美子は散らばってた雑誌や新聞紙をちゃぶ台の上から落として、皿を下ろす。「きみも食べるよね」
 訊くと、黒い目線がぐるんとこちらを向いた。

「きょう何曜日だ」
「金曜日だけど、それがどうしたの」
「じゃーくわなくてもいいや。小さいときは、省エネだし」
「なに言ってるの。少しでいいから食べないと」
 半ば強引に小皿とスプーンを持たせ、ついでに「いただきます」などの挨拶について教え込んでおいた。こうなってしまえば、意外に彼は素直だ。咀嚼音とテレビの音が、しばらく続いた。

「ごちそさま。しってたか、ゆみー? ヘビの舌って、ほぼ味覚がねーんだよ」
「えっ」
 この時にして、もしかしたら本日一番の驚きに出会ったかもしれない。驚く点の多い一日だったのだから、相当だ。
「なんとかソン器官のほうに、舌でひきこむんだよ」
 思わずスマホで検索した。厳密にはヤコブソン器官というらしい。

「それで『多分おいしい』なんて感想になるんだね」
 スマホから顔を上げた唯美子は、あれ、と目を瞬かせた。少年の朗らかな笑顔に、違和感をおぼえたのである。その源を特定しようとして、さんざん見つめることとなった。
 歯だ。前歯の欠けている部分が、大人の時と子供の時とで違うのだ。欠けた歯の種類も、位置も合わない。そう指摘した。

「こっちは子供の歯が抜けた穴で、あっちは大人の歯が殴られて折れたんだよ」
「うん? 脱皮して変化してるのにそういうの関係あるの」
「まあ、いいじゃねーか。細かいことは」
 あからさまにはぐらかされた。
 そして追究する間もなく、にゅっとナガメが唯美子の腕の下をくぐり、懐に入ってきた。きゃ、と反射的な悲鳴を上げる。
 腹部に小さな背中が当たっている。嫌ではないが、変な感じだ。

「ナガメは、大人の時と子供の時とでちょっと雰囲気違うね?」
「おう。ニンゲンのたいどって相手の見た目によってかわるから、こういう姿なら、あまえほーだいなんだろ」
「……なんか作為的だね」
「うけうりだけど。そーゆーもんじゃねえの」
「たぶん根っこのところではみんなそうなのかも……そんなこと考えながら生活してるのって、計算高い感じがするけど」

「ケーサン?」
 少年がぐりっと頭を後ろに傾けた。双眸に光る黄色い環は、時折現れては消える。それは「ミズチ」の非人間的な本質を象徴しているようだった。
 この子は、人間を冷静に分析していながら、さらなる一歩を踏み込む気がないのではないか。計算高いのではなく、本当に素直に、誰かに言われたことを実現しているだけに思える。

「ううん、気にしないで。それよりきみはいつまで居座る気なの」
 流れで夕食に誘ってしまったが、彼にも帰るところがあるのではないか。
「ゆみが死ぬまでかなー。だってほっとけねーし」
「……それってすごく長くない?」
 困った顔で問い返すと、ぶかぶかの服に着られている少年はニッと笑んでみせた。

「おまえもききたいこといっぱいあんだろ? ゆっくりこたえてやっから。これからめんどーな目に遭うんだしな」
「でも」
「おいらは長寿だ。不死じゃないけど、不老なの。ゆみひとりの人生に付き合ったって、何も減らないどころか暇が有り余るんだな、これが」

「わたしの生活費が……というよりきみの食費……」
「一週間に一度食えりゃたりる。そんなにかさばんねーとおもうぜ」
 安心しろ、と彼は舌を歯の間にちろちろと出し入れしてみせた。ちゃんと人間の舌の形をしていたそれは、蛇である時の動作をそのままクセにしたようなものだという。
 唯美子が思い悩んだ時間はそう長くなかった。

(可愛いから、いっか)





長くなっちゃってサーセンッ
ミズチの擬態はいい加減なとこもあって、蛇の構造を人型のまま使ってたり、人間の構造を真似ているところもあります。自分ではうまいと思っているけど微妙に化かし切れていなくて、血が出ないのは雑さの表れみたいなものです。

これにて第一章は終わりです。いざ書き終わってみるとあまり言うことがないですね… 次でお会いしましょうとしか…w

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12:33:02 | 小説 | コメント(0) | page top↑
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