1-2. b
2018 / 03 / 19 ( Mon )
「どこって、窓あいてんじゃん」
 少年は悪びれずに親指で背後をさす。そういえば居間の窓は網戸がなく、全開だ。十歳以下の子供の小さな体躯であれば余裕で通れる幅である。
 問題はそこではなかった。

「あの、ここ、三階だよ」
「三階だな」
 言わんとしていることが伝わらなかったらしい。我が物顔でちゃぶ台の前にちょこんと座った少年に向かって、唯美子はいま一度問う。

「梯子なんて出してなかったよね。どうやって上がってきたの」
「ベランダ伝えばらくしょーだし」
 少年は鼻で笑った。果たして彼が言うほど楽にできることなのか首を傾げざるをえないが、自信満々に言うので、そういうことにしておいた。

(押し入りの常習犯……? にしてはなんか……)
 金目のものを探している風ではない。けれど子供の姿で相手を油断させて、実は大人の共犯者がいたりするのかもしれない。この物騒な世の中だ、どこに危険が潜んでいるのか誰にもわからない――

 黒い双眸が丼をじっと睨んでいた。
 まるで初めて出会う料理を前にした時のように、唇に指をあてて何かしら考え込んでいる。ついにはちゃぶ台のふちを両手でつかみ、丼に鼻を寄せてひくつかせた。微かに立ち上る湯気を嗅いでいるようだ。
 もしかして、と声をかけた。

「きみ、おなかすいてるの」
「んにゃ別に」
 即答すぎてかえって疑わしくなる。
「意地張らないで正直に言ってもいいんだよ」
「ほんとだって。はらへってねーけど、それ、どんな味すんのかなって気になってるだけ」

「じゃあ食べてみる?」
 唯美子が提案した途端、その子はわかりやすく顔を輝かせた。
 無邪気そうな表情だった。一緒になってはにかんでしまう。
 正体が物乞いでも押し入りでもいい、少なくともこの瞬間では、無害な児童にしか見えなかった。

(まあいいよねこれくらい)
 独身生活を寂しいともつまらないとも思ったことはないが、誰かと食事ができるなら、それに越したことはないのである。
 立ち上がりかけて、唯美子はぎょっとした。視界の端で少年が、丼に右手を突っ込もうとしている。

「ちょっと! お行儀悪いよ! きみの分の食器いま持ってくるから」
 慌てて叱りつけると、不服そうな顔が返ってきた。
「そういえばそんなもんがあるんだったな。ニンゲンはめんどくせえなあ。それにギョーギってなんだ。ギョーザ?」
「お・ぎょ・う・ぎ。作法や礼儀のことだよ」

「れーぎ、ね。わかった」
 わかってくれたか、とひと安心して踵を返す。まったくこの子の親はどういうしつけをしている――考えかけて、そういえば「親なんていたことない」と主張していたのを思い出す。言葉通りではなく、親と思えるような人間がいなかった、の意味だろうか。

 さすがにこの歳で保護者がいないのはありえないはずだ。
 唯美子は丼と同じように盛ったお碗と箸を手に戻り、まじまじと少年を見下ろす。太っていなければ痩せすぎてもいない、十分に健康そうな肉付き具合である。
 身なりも、汚いという印象はない。むしろ服はきれいだ。
 ――なぜか今日は、浴衣ではなく時代劇みたいな和装をしているが。

(七五三……違うか。平安時代の衣装っぽい)
 陰陽師映画にでも出られそうな感じだ。撮影会か何かから逃げ出したのだろうか。
「えっと――」とりあえず声をかけようとして、なんて呼べばいいのかわからないのだと気付く。「きみ、お名前なんていうの」
 奇妙な間があった。少年はじっとこちらの表情を窺っているような目をしている。

「おいらは、みずちだよ」
「ミズチくん?」
 いざ口にしてみると、聞き覚えのある音の羅列のように思えた。神話か民話の化け物だった気がするが、そういったものよりももっと身近に感じる。

「べつにそれ名前じゃねーけど」
「え? 違うの?」
「厳密にはちがうけど、まあいちばんわかりやすいから。よんでいーよ」
 まるで話題に興味を失くしたみたいに、ミズチと名乗った少年は箸を手にした。

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