1-1. c
2018 / 03 / 04 ( Sun )
「知ってるっつーか、まあ、うん。仲良くはなかったけど。いちおう、報せを受けたから」
 少年は頬をかいてぶっきらぼうに答えた。
(そっか、ひよりおばあちゃんのお友達だったのかな)

 祖母は県内に、それも車で三十分という、頻繁に会いに行ける距離に住んでいた。週に何回か会っていたが、この子が話題に挙がったことはなかった。祖母はあまり写真を飾るような人ではなかったし、日記の類も目にしたことがない。二人に縁があったかどうかなど、どちらとも判断がつかない。しかしそうであれば彼が唯美子を知っているのもうなずける。

(おばあちゃん……教えてくれればいいのに)
 どんなに仲が良かったつもりでも、誰かが持つすべての顔を知ることはできないのかもしれない。もっと話せばよかった、もっと会いに行けばよかった。こみ上げる後悔に、ぐらりと視界が歪んだ。

「だいじょうぶか、ゆみ」
 ぺたり。今度は頬に小さな手の感触がした。柔らかくて、ほんのりと温かい。
「うん、気遣いありがとう」
「ちげーよ。そういう話じゃない」

 否定する声は険しい。びっくりして少年を見下ろす。
 赤い舌が一瞬、歯の間からちろりと出入りした。
 ――まただ。また刹那の間に、少年の両目に黄色い環《わ》が浮かんだように見えた。

「いいか、ゆみ。ひよりはおまえをまもるための『不可視の術』をかけてたんだ。いわゆる、まじないってやつ。けど術者が死んだ時から、効力が徐々に弱まってる」
 突拍子のない話に、呆気に取られた。「術」や「呪い」と言われても思い当たる節がない。
 子供のごっこ遊びかと思って笑い飛ばそうにも、そんな雰囲気ではなかった。少年は難しい単語をさも当然のように扱ったし、表情や声音には大人びた深刻さがある。
 問い質すしかなかった。

「なに、言ってるの」
「要するにだな。これからおまえ、何かとめんどーな目に遭うぞって話」
「面倒な目……?」
 どういう意味、と訊き返そうとしたその時。浜から「おーい」と呼ばわる者がいた。見れば、社の同僚たちが浅瀬から引き揚げている。
 ふいに頬に触れていたぬくもりが消えた。

「なあ、ゆみ。みず恐怖症はもう克服できたか」
 浜辺の喧噪が一瞬だけ耳朶から遠ざかり、少年の声だけがやけに大きくきこえた。そしてやはり「ゆみ」の発音が独特だ。
 ――きみはそんなことまで知ってるの。

 口を開きかけて横を振り向いたら、そこには誰も居なかった。浴衣姿の男の子も、異様に大きいトンボも。
 人込みの中に視線を走らせる。ビーチチェアの下も思わず探った。
 まさか暑さにやられて幻覚を――否、妄想の産物にしてはディテールが凝りすぎていた。自分にはそこまでの想像力も独創性もない。

「今の子、知り合い?」
 水着姿で歩み寄ってきた真希の問いかけで、幻ではなかったと確信する。友人にも少年の姿が見えていたのだ。砂に目を凝らしてみれば、確かに子供サイズの下駄の跡があった。
「ううん」
「えー。迷子に絡まれてたのぉ」

「迷子じゃなかったけど……なんていうか、よくわかんない子だったよ」
 祖母の友達だったという可能性を話そうかどうか迷ったが、結局どう説明しても謎が増えるばかりな気がして、断念した。
「そう? みんなが、そろそろバーベキューの準備しようってさ。行こうよ」
「わかった」
 謎の子供の件をひとまず意識の隅に追いやって、唯美子はチェアから立ち上がった。

     *

 女性四人、男性三人という組み合わせで食卓を囲んでいた。女性陣は全員が事務員、年齢も二十代前半、とほとんどとスペックが似通っている。
 こう表現してしまえば野暮だが、顔のレベルは(唯美子含め)およそ平凡。唯一、都会暮らしが長かった八乙女《やおとめ》真希が例外的に垢ぬけている印象だ。
 ポニーテールを下ろして化粧を直した真希は、昼間の彼女以上に、華やかな空気をまとっている。

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