1-1. b
2018 / 03 / 02 ( Fri )
 ぺたり。

「え、なに!?」
 突然触れたぬくみに飛び起きる。おそるおそる、デニムショーツから覗く膝に触れているものに焦点を定めた。
 小さな手、だった。

「みぃつけた」
 蛙柄の青い浴衣を着た溌溂《はつらつ》そうな子供が、死角からひょっこりと顔を出してきた。
 七か八歳くらいの、大きな目と小麦色の肌が特徴的な、東洋系の顔立ちをした男の子だ。子供にしては彫りが深く、どこか東南アジアっぽさを感じる。

 首元までの長さのボサボサの黒髪は毛先が不揃いで、左右のもみあげの部分だけがやたら長い。前髪も長いが、斜めに分け目があってなんとか目が隠れていなかった。
 トンボが子供の頭にとまった。少年は眼球をぐっと上に巡らせつつ虫たちに話しかける。

「鉄紺《てつこん》、栗皮《くりかわ》。ごくろーさん」
「きみのトンボなの? 大きいね」
 渋いネーミングだとこっそり思いながら、指さした。
「ん、こいつらはおいらの僕《しもべ》だよ」
 少年は得意げに笑った。上列の歯に中心から少しずれた箇所に隙間があって、愛嬌を感じる。

 そうなんだ、とつられて笑みを返した。
 この年頃の男の子だ、虫を僕と見立てて遊ぶのもうなずける。それにしてはトンボらが本当に従順そうに翅を畳んでいるのは気になるが。
「ねえぼく、お父さんとお母さんは?」
 辺りに保護者らしい人物が見当たらないので、訊ねてみた。

「お父さん、お母さんんん? んなもん、いたことねーよ。なに言ってんだ、ゆみ」
 男児は不可解なものを見るように眉を捻った。ごく自然な質問だったはずなのに、彼はなぜ声を裏返すのか。
 いや、そんなことよりも。独特なイントネーションだったが、もしや名を呼ばれたのではないかと耳を疑う。

「なんでわたしの名前を知ってるの」
「なんでっておまえなぁ」
 我が物顔で少年はチェアの上によじ登ってきた。探るようなまなざしで、じっと唯美子の瞳を覗き込んでくる。思わず見つめ返した。
 少年の双眸は濃い茶色だ。底知れぬ深みに、瞳孔が溶け込んでいるみたいな――

(茶色……だよね)
 瞬きの間にちらりと薄い色が見えた気がした。瞳孔を縁取る黄色だった。見間違いだろうか、次の瞬間には元に戻っていた。
「ははーん、何十年も前の話だから忘れてんのか」
 その言葉で我に返る。
 少年は得心したとばかりにニタリと笑っている。

「な、なんじゅうねん? わたし、まだ二十五歳だよ。それじゃあきみは何年生きてることになるの」
「五百年とちょっとかな」
 彼は一文字ずつ、大げさに唇を動かす。
 少年は砂の上に跳び降りると、なぜかくるくると側転をし出した。鮮やかな青い袖がはためいている。二匹の大トンボが、所在なさげに空を舞う。

 不思議な子供だ。おかしな嘘のことはともかく――話し方や間の取り方に子供離れした様子がある。気ままそうに見えて、自らの言動や挙動を意識している風だ。
 最近の子は皆こうだったかな、と甥や姪を思い浮かべて比べてみたが、どこか違和感があった。
 別の問いを投げかけてみる。

「ねえ、『みつけた』って言ってたよね。きみはわたしを探してたの?」
「そーだよ」
 即答だ。唯美子は続く言葉につまずいた。
「……どうして」
 すると少年は側転をやめた。
 振り返った顔は、可愛らしい蛙柄の浴衣とちぐはぐに、ひどく真剣である。

「ひよりが死んだんだろ」
 その声に悲しさはなく。静かな、労わりだけを含んでいた。
 唯美子は無意識にパーカーの裾を握る。
「おばあちゃんを知ってるの……?」
 正確には「知ってたの」だが、心の整理がついていないところもある。咄嗟に口から出てくるのは過去形ではなく現在進行形だった。


最初だったので二日連続更新しましたが、次からは3~4日に一度ペースになります。
よろしくお願いします(o*。_。)oペコッ

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