十 - i.
2017 / 11 / 03 ( Fri )
(誰か来た?)
 脱力してうまく起き上がれない。せめて横に転がってみると、気絶させられたと思しきアストファン公子の輪郭が目に入る。
 嫌悪感が原動力となって、セリカは急いで上体を起こす。壁に背が当たるまで後退った。

 おそるおそる、顔を上げる。
 どこかで見たような筋骨隆々の戦士風の男が佇んでいる。左腕が三角巾につられていて、鎧もところどころ欠けているが、眼光は相変わらず鋭い。男は殴るのに使ったらしい剣の柄を一度見下ろしてから、あるべき場所に収めた。
 何で、とセリカは口に出さずに唇だけで訴えかける。見えたのか察したのか、男は抑揚の無い口上を述べた。

「主の意思は己が意思。己が剣(つるぎ)は、主の剣」
 そして淡々と動く。アストファンの手足を縛ってから、背を向けたまま、マントを差し出してきた。
 セリカはゆっくりと手を伸ばしてそれを受け取った。よろよろと立ち上がり、破けたスカートの代わりにマントを腰に巻き付ける。
 微かな香りが鼻孔に届いた。

(あ、このひと……エランと同じにおいがする)
 以前外套を借りた時は気が付かなかったが、衣服に染み込んだ香の種類や組み合わせ、食べるものが似ているからだろうか。
 親近感は安心感を連れてやってくる。ついさっきまで胸中で渦巻いていた悪感情のことごとくが、浄化されていく。

「濡れて不快でしょうが、申し訳ありません」
 ぼそりと彼は謝った。
 言われてみればマントはかなり水を吸っていて重いし、冷たい。言われるまでわからないほど、気が動転していたともいう。
「いいわよこれくらい。ありがたく使わせてもらうわ」
 外は大雨だ、怒れるはずがなかった。
 そろりと傍らに行ってみた。近付く気配に気付いて、大男が振り返る。

「助かったわ、タバンヌス」
「役回りです」
 無表情な男の返答はそっけない。が、次の瞬間ぐっと眉間に皺を寄せた。「当然のことをしたまでです」と続けて、それも思い直したのか、頭を振った。

「……失礼」
「どうしたの? 何を謝ってるの?」
 うまく言葉にできないのを嘆いているのだろうか、とセリカは首を傾げた。
 すると彼はザッとその場に跪いた。

「え、何? ちょっと」
「エランディーク公子は現在、ハティル公子と対峙中です。鬼気迫る様子で刃を交えています」
「!」
「主が、自分がどんな人間であるかを思い出せ――……いえ、取り戻せたのは、公女殿下のおかげです」 
 頭を下げたまま、タバンヌスがまたしてもぼそりと言った。

「エランには、あなたが必要だ」
 それきり彼は沈黙してしまった。
(思い出した? 見失ってたって……?)
 どんな人間であるかを取り戻した――そう言われると、なんとなく思い当たる節があった。

 父と兄が「性根が真面目」だの「責任感が強い」と評したのを嫌そうにしていたのは、エラン自身が思い込んでいる「自分」の像と周りの人間に見えているものとの食い違いがあったからか。
 無気力だが、無関心ではなかった。家族と国を想っていながらそれに見合った行動をしていなかったのだ。

 ――そうか、今は戦っているのか。
(あたしのおかげかどうかはわかんないけど……)
 もっと必死に生きてみたらと言ったのは憶えている。どんな形であれ力になれたのなら、嬉しい。

「ありがとう。でも、あなたも必要だと思う」
 大男はふいっと顔を背けた。照れたのだろうか。
「その話、後で詳しく聞かせてね。昔のエランがどんなだったかとかも、興味あるわ」
「…………」
「返事は!?」
「承知」
 渋々だがようやく返事があった。よろしい、とセリカは満足げに笑った。

「行きましょうか」
 もはや脅威ではなくなった第二公子をタバンヌスが担ぎ上げるのを見届けてから、踵を返した。
 震えはもう止まっている。

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