十 - d.
2017 / 09 / 26 ( Tue ) 「私も人と分かり合う努力から逃げ続けていた一人だ。偉そうに説教する権利は無いが……」
いつしか俯いていたハティルの肩を、今度こそ掴んだ。目が合うのを待ってから、続きを綴る。 「お前は一度でも、アダレムにどうしたいか訊いたことがあるか」 「無意味ですよ」 「対立を失くしたいなら、結託すればいい」 「無理です」 目を逸らされ、肩の手も払われた。エランは頭の中で何かが弾ける音を聞いた。 「頭ごなしに否定するな! 私たちは翻弄されるだけの傀儡じゃない、意思の通う人間だ。操らんとする糸を断ち切ることだってできる!」 「……エラン兄上が大声を出せる人だったとは、驚きました」 それまで鬱々としていたハティルの応答が、ふと感心したような色味を帯びた。 「私自身が一番驚いている。ここ数日で色々あったからな」 「他人(ひと)の為にこんなに必死になれるんですね」 「お前の気持ちがわかるとは言い難いが、アダレムの今の状況は他人事と思えない。私もかつては……そうだな、ちょうどお前が産まれた頃のことだ。一時期、軟禁されていた」 語られた内容に興味を惹かれたのか、ハティルは瞳の焦点をこちらに戻しかける。すんでのところで思い直し、背を向けた。 「全て遅すぎます。結託どころか、アダレムが僕と関わりたいはずがない。それにもう、父上は」 「待て。話はまだ終わっていない」 そう言って手を伸ばした時―― 隣の建物が急に騒がしくなった。直感的にエランは、事の重大さを汲み取った。 最も恐れていた凶報が、雨音をかいくぐって耳朶に届く。 自らに訪れた感情の揺れは、目の前の少年の表情の移ろいとほぼ合致した。 驚嘆。そろそろ起こりうるだろうと予想していた事態の訪れを、それでも信じたくないという心の拒否。来(きた)る動乱への恐れ。焦燥、再び驚愕。とにかく途方に暮れる。 次にハティルがこちらを見上げた頃には、ひどく複雑な顔をしていた。 「身罷られた……? ああ、悪いのは父上だ。僕らをさんざん振り回し、果てには勝手に死んでいった、父上が悪いんです」 どうすればいいですか、と唇の動きだけで訴えられる。面貌には六歳年上の兄に助けを求める弟の弱さと、決裂を前にして加害者に転じかけている男の凶暴さが同居していた。 お前は真面目だな、とエランは苦笑した。 「考えたくない。僕はもう、何も、考えたくないです」 「わかった。なら、こうしよう」 耳障りなほどにゆっくりと、エランは愛用のペシュカブズを鞘から解放した。 「正式に決闘を宣言して、証人を呼んでもいい。代理を立ててもいいぞ」 体格的に不利なハティルへの、配慮のつもりで言った。次いで、勝者敗者に課せられる条件を提示した。 ハティルは押し黙って聞いている。 話が終わると、釣り気味の目を一度細めてから、腰に手をやった。 鞘に組み込まれたまろやかな赤いオニキス、柄を彩る透き通った青いトパーズ、刀身に施された複雑な紋様。宝刀としての美しさのみで比べるならば、ハティルの賜ったそれの方が上等だ。大公ではなく母方の祖父からの贈り物だったという。 同じ型のナイフでありながらも子供の手で振るえるような小ぶりで、使い込んでいる痕跡も無い。 第六公子はまだ成人していない。ゆえに帯剣していても道具そのものは実用性よりも見た目重視で、本人の戦闘経験も浅い。 だがハティルは自ら凶器を構えた。全ての不利もリスクも承知の上で、挑戦を受けるとの意思表明だ。 立ち会う者が居ないのなら、どちらかがうっかり手を滑らせて相手を殺してしまっても仕方ない。決闘だと思っているのは個人だけで、両方が生き残って話がかみ合わなかったならただの殺し合いになるが―― 稲妻が天に閃く。 後を追うように轟音が落ちる寸前、刹那の眩さの下で――エランは弟が悪意に微笑むのを確かに視認した。 どちらからともなく、動いた。 _______ |
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