6. c.
2026 / 02 / 17 ( Tue )
閲覧注意だよ



 異性の好みなんて考えたこともなかった。外見も性格も、漠然と、真面目そうな無難な人がいいのかなとしか思っていなかった。でも今、他でもない、この男を欲している。
 枕の角を握り締めて、己の内にある強烈な衝動を認めるしかなかった。
「おい、こっち向け」
「やだ。だって、見られるの恥ずかしい」

「……今更?」
「一昨日は上は着たままだったし、暗かったよ」
「じゃあ電気消すか。トイレのだけつけときゃ十分見える」
 言うが早いか、男はドアの横にあるスイッチに向かっていった。道中、髪留めを引っこ抜いて、乱れた髪を首の後ろで結び直しているのが見えた。シェリーは仰向けになって、ブランケットを胸辺りまで被った。

(えぇー……今の仕草もめっちゃイイ)
 暗くなったからには、にやけた顔を見られずに済んだはずだ。
「寒いなら暖房もうちょっと強くしてやるけど」
「このくらいでいいよ」
「そ」
 男は何気なくタンクトップを脱ぎ捨てた。左手から漏れるトイレの明かりが、陰影を作っていた。共にブランケットの下に入り込んでくるのを、シェリーは黙って見守る。
 触れたい。

 覆い被さる者に手を伸ばす。夜になって伸びてきた顎髭のざらついた感触も、耳の後ろの脂っぽい柔らかさも、直に確かめて悦に入る。
 互いを隔てる隙間を全てなくしてしまいたい。
 これ以上近付いたらこの渇きが伝わるのではないかと一瞬気になって、それでもいいという結論に至る。どこかで肌が触れ合う度、摩擦からではない熱を感じた。

 乳首が生温かいものに包まれた。片方は手のひらに、もう片方は舌に責められている。
 思考が崩壊しかける。自分がどんな声を出しているのか、もはや把握できなかった。愛撫の時間は長いようで、短いようでもあり、やはり唐突に絶えた。
(また焦らすの)
 ふとプラスチックの包装と思しき音がして、視線を上げる。
 リクターは片手の指先と歯を使って、四角く平らなパッケージを破り開けていた。輪郭で、それが何かを理解する。

(コンドームだ。この前はちゃんと見てなかったけど)
 そこはしっかりしているんだなと、感心した。シェリーは経験が浅いだけあって、自らは避妊手段にまで気が回らない。世の中の女性は経口避妊薬(ピル)を毎日服用して凌ぐらしいが、医師に処方されないと手に入らないそうなので、決まった相手がいない内は意識の片隅にも置いていないことだった。
「いれていいか」

 ――いいよ
 イエスと答えた声があまりに艶めかしく、必死そうで、自分のじゃないみたいだった。はやく、早く何かに、入って欲しい。
 最初の時はただただ痛かった。
 けれど今宵は。
 熱の塊が襞をかき分ける感覚に、息を吞んだ。埋まっていく。まだ、奥をゆく。

「きっつ」
 呼吸の節目に吐き出したみたいな文句を言われた。
「え、ごめん」
「謝るとこじゃねえよ。クソ気持ちいいって話」
「そう、なんだ」
「そっちは痛いか」

「痛いというより……異物にこじ開けられてるみたいな、違和感がする」
「異物って」
 正直な感想であって笑いどころを提供したつもりはなかったのだが、くすりと笑われた気配がしても、嫌な気はしなかった。
 もう少し脚を開(ひら)けないかと訊かれ、従ってみる――

「……あぁ」
 ゆっくりと満たされる。奥まった場所に触れられて、何かが弛緩した。
 浸っていられたのは数秒の間で、特に合図はなく、激しい動きが加えられた。
 シェリーは縋るものを求めて腕を伸ばした。男の背中を搔き抱く。
 ラジオから漏れる話し声と、ベッドの軋みに、呻きが混ざった。
(あ、今の……)
 余裕の無い表情が垣間見えた。それが、たまらなく愛おしいと思った。



「ちょっと吸ってもいいか」
「あ、うん」
 すぐそばからライターの弾ける音がする。
 苦手だった煙の匂いが、いつの間にか、嫌いではなくなっていた。

(だってこれはもう、記憶に組み込まれてしまったから。あなたの、匂いだから)
 リクターに背を向けて横になったまま、シーツを握りしめる。
 恋なんていまなお知らないし、言ってしまえば、いろいろと段階をすっ飛ばしてここまで来てしまった。

 体を重ねたから愛着が沸いたとか、そんな単純な話ならよかった。
 執着かもしれないし、依存かもしれないし、恋愛感情かもしれない。
 同じ空間に居られる一分一秒が大切で、尊敬できるところも情けないところも、全部がどうしようもなく好きだ。欠伸をする度に顎が外れそうな勢いで口を開けるところも、脱ぎ捨てた靴を揃えずに蹴ってどけるところも、「そ」と相槌を打つイントネーションですら愛おしい。

 ガサツで、でも地に足がついていて、同じ空気を吸っているだけでも不思議な安心感を与えてくれる人。
 静かに涙が零れた。
 これ以上は迷惑をかけられない。これ以上同じ時間を共にしてしまったら、離れられなくなってしまいそうで。やがてひとりになったら、息の仕方すら見失ってしまいそうで。

 或いは俗にいう「重い女」になりそうな予感しかしなかった。
 これではダメ。
 ――出ていこう。
 選択肢は、それひとつしかないように思えた。

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