59.e.
2016 / 07 / 08 ( Fri )
「うん、こんばんは」
 特に断りなく隣に腰を掛ける。ミスリアはきょとんとした表情で見上げてきた。
「あの……」
 消え入るような声の後、大きな茶色の目があちらこちらと泳ぎ出した。心の内にある質問を、口に出そうかどうかを決めかねているようだった。

「どうしたの」
 この正直者の少女が何を訊きたいのかなど、簡単に想像が付く。だが敢えて本人が自分から言い出すまでを待つのは、リーデンのちょっとした悪戯心であった。
「えっと、その……ゲズゥは、一緒じゃないんですか」
「さあ。それなりに近くに居る気がするんだけどね。その辺の樹でも揺すれば落ちて来るんじゃない」

「そんな、虫みたいに」
 ミスリアは苦笑した。
「心配しなくてもお腹が空けば勝手に出てくるよ。聖女さんは気になる――」
「いいえ」
 食い気味に返された否定の言葉に、俯き加減に傾かれる頭。これは早目に本題に入らないと口のみならず心の窓まで閉ざしそうだな、とリーデンは判断した。

「ずばり君の悩みってアレでしょ。『いつか来る別れ』に関係してるんだよね」
「…………」
 呼吸に僅かな乱れが生じたのが聴こえた。しかしそれを除けば、反応が薄い。胸板は規則的に上下を繰り返し、目線は隠れたままだ。

「こっちは否定しないんだね」
 ひたすらに、沈黙があった。
「ねえ聖女さん。もしもの話だけどさ」
「……はい」
 ようやく顔が上がった。光を映さない双眸がこちらを向く。

「もし君が兄さんの為だと思って何か大事なことを隠してるなら、思い直してね」
 ぱちり、ぱちり、と静かに瞬く瞳。
「知らないことを知った時にどんな反応をするかなんて、その時になってみないと本人にだって予想できない」
 リーデンがそう言ったのと、ミスリアの唇がぎゅっと引き結ばれたのは、ほぼ同時だった。

「こういうことに『前科』がある僕が言うのも説得力無いかな? 相手の為だと思ってやってることが、実際は相手の気持ちを完全に無視してるなんてザラでしょ。話し合って、ぶつかり合って、こじれてもまた歩み寄るのが人付き合いってもんじゃないの。先回りして向こうの気持ちを読んでるつもりでも、そういうのって、あんまりうまく行かないよね」

「そう……ですね」
 囁きのような肯定が返る。
「あの人が壊れたとしても、君がそこまで責任を感じる必要は無いんだよ? 結局のところ、どんな環境や出来事に直面しても、心の状態は本人の自己責任でしかないんだ」
 だから思い切って打ち明けてしまいなさい、とリーデンは言葉の裏から念じた。

「そんなつもりは、ありません。私が臆病で、楽な方へ逃げたがっているだけです」
「ふむ。君には君の心を守る権利がある。たとえそれで誰かが傷付いたとしても、ね」
 目が合うように、ミスリアの顎を指先でそっと方向転換させた。

「ありがとうございます。そう言われると、少しだけ楽になります」
「相談に乗ってあげたいのは別に僕がいい人だからってワケじゃないよ? 君の精神状態が気になるのは、君のことが好きだから、だよ。そこんとこ憶えといてね」
 ちょん、とミスリアの小さな鼻に人差し指を当てた。
 照れ臭そうに笑って、彼女は応じる。

「あ、ありがとうございます。私もリーデンさんのこと、好きですよ」
「それは嬉しいね。でも僕以上に君と付き合いが長くて、多分僕以上に君のことを見ている人を、いつまでも無知という闇の中に閉じ込めないであげてね」

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23:58:45 | 小説 | コメント(0) | page top↑
59.d.
2016 / 07 / 05 ( Tue )
 通行人の男は振り返りざまに激昂した。神聖なる教団の敷地でなんて非常識な奴らだ、痛いではないか、そもそも貴様ら何故服を着ていない――吐き出される文句の数々を、リーデンが笑顔であしらう。

「失敬な、服ならちゃんと着てるでしょー」
「このような人目のつく場所で下半身だけ覆って上半身を晒しているのは『ちゃんと服を着ている』とは言わない!」
「えー、でも動き回ると暑いし。洗濯物かさばらないように気を遣ってるんだよ」
「こ、こんなところで暴れ回っていることとて非常識だ!」

「木剣を当てたのはごめんって、わざとじゃないんだ。何なら手当てするよ」
「断る! 訓練場を使えば良いものを――」
「僕らは入れないのに?」
 さすがにその返し方には文句の付けようがないのか、男はぐっと怯んだ。
 とにかく気を付けろ、と捨て台詞を吐いて通行人の男は立ち去った。

「あーあ。まだ時間あるけど、兄さんはどうすんの」
 つまらなそうに木剣を回収したリーデンが、これからの暇潰しについて訊ねる。
「森で走る」
 ゲズゥは無機質に答えた。
「ん、いってらー。うっかりミソギをサボったら聖女さんにシワ寄せが来るだろうだから、ほどほどにね。僕は適当に寝るかな」
 言ったそばから、リーデンは草の上で仰向けになった。

 ゲズゥも間を置かずに敷地を出た。注意されたばかりだが、更に汗だくになる予定なのだからやはり衣服は最低限で十分だ。門番の非難の視線を顧みずに、軽く走り出した。
 まだ会話をしようと思えばできる速度で、考え事も然りだ。
 自然と思考の流れ着く先は定まっていた。

 言いたくないのなら無理に話さなくていい、ただ言いたくなったら聞く者が居ることを忘れるな――そんな言葉をかけてやったのも、最近のことのように思う。思いやりだったのだろう。それが今は、己の我儘としか形容できない、「知りたい」欲求とせめぎ合っている。
 結果、大切にすべき対象を傷付ける有様となった。
 本当にミスリアの為を想うなら、無理強いせずに成り行きを見守るのが正解かもしれない。それができないのは、明らかに葛藤しているとわかっていて、頼ってもらえないことが悔しいからなのか――

 ――何が正しいのか、何をどう割り切れば良いのか。あの助けを求める目をどう捉えればいいのか。
 もう何も考えたくなかった。
 進む速度を全力疾走にまで繰り上げる。
 筋肉が軋み肺と心臓の動きも追いつかなくなり、思考が完全に停止するまで、無心に走った。

_______

 リーデン・ユラス・クレインカティがその後、次に聖女ミスリアと顔を合わせる機会を得たのは夕餉に近い時刻だった。道沿いのベンチに腰を掛けて、祈祷書を熱心に読んでいる姿を見かけたのだった。
 此処に来てからは彼女は聖職者たちと食事を採る傾向にあり、リーデンたちは寄宿舎で淡々と食事を済ましている。
 なんとも、窮屈な日々であった。

(早く調べものとか報告とかお勤め終わらせて、サッサと旅の続きに出ないかなー)
 と思っていても、口には出せない。口元に笑みを貼り付け、手を振る。
「やあ、聖女さん。奇遇だね。邪魔しちゃってもいい?」
 我ながら白々しい挨拶であった。

 偶然ではないのはわかっている。一日の予定が詰まっているはずのミスリアが隙間時間を此処で過ごしているのは知れたことだ。寄宿舎に泊まる護衛たちとは近過ぎず遠過ぎず、かと言って直接会いに来るわけでもなく、微妙な距離を保ち続けている。
 その様子は、少しゲズゥのそれと似ていた。心の乱れを単調な作業などで強引に正そうとしているのだ。
 ミスリアは祈祷書から顔を上げて、ふっと笑った。

「こんばんは、リーデンさん」


久しぶりに場面転換多めですみませぬ

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11:27:35 | 小説 | コメント(0) | page top↑
59.c.
2016 / 07 / 03 ( Sun )
「ごめん、無駄なお喋りだった。まだやりたい? ……って、訊くまでもなかったみたいね」
 リーデンは己の得物を引いて、掌の上でくるりと一回転させる。
 思わずそれを目で追ってしまったゲズゥは、鬱屈とした心持ちで回転する木剣を睨んだ。
 またしても開始の合図は無く――俄かに兄弟で剣を交わらせた。

 ――ところで、この頃聖女さんが兄さんを避けてるのは何でかな――

 重ねられる一合ごとの衝突音の合間に、脳内に直接声をかけられた。
 答えなかった。
 先ほどと立場が真逆に、今度はゲズゥが突っかかって、よりアグレッシブに木剣を振り回した。遊び半分の試合とはいえ、通常の精神状態であったならばこんな行動に出ない。

 避けられている理由の心当たりならある。
 傷付けたからだ。
 答えようとして、詰まる。思考回路が回想に入ろうとしている。残りは剣の試合に意識を割くだけで精一杯となり、返答の言葉を組むことができなかった。

_______

 波打つ栗色の髪を指で梳いて、甘くていい匂いがする、と思いながら待っていた。
 高望みをしたつもりは無い。人の好さにつけ込んでいるのではないかという後ろめたさは多少あったが、これまでに築き上げてきた土台があるからこそ、受け入れられる可能性もそれなりにあるものだと踏んでいた。

 当人の意思以外に立ち塞がる障害もあるのだと、理解していた。たとえ聖獣を蘇らせることに成功し、そこに至るまでの働きを認められて死刑は取り消されても、何かしら罰が下されるに違いなかった。
 しかしゲズゥにとっては望みが実現されるか否かは二の次で、ミスリアの意思を確かめたいだけだった。
 長い沈黙が続いても、大人しく待っていられた。

「どうして」
 やがてそう切り出した少女の吐く息は、薄っすらと白い。
「……利害が一致した関係だと……そう言っていた頃もありましたのに」
 溢れそうになる何かを必死に抑え込んでいるような細々とした声で、ミスリアは続けた。

「どうしてこんな風に…………距離を、縮めるんですか……?」
 問いをみなまで聞いた途端、ぐっと指に力が込もった。髪が絡まり、ピンと張る。
「痛っ! や――」
 痛がる声もバタバタと叩いてくる手も、意に留めず。訊き返した。

「ならお前は何故、遠ざかろうとする」
「……!」
 強張り、息を呑む。それは理不尽な言いがかりをつけられた者の反応ではない。言及されている内容を瞬時に思い当たった者のものだ。
 原則としてゲズゥは他人に興味が無く、したがって他人の心情にあまり多くの思考時間を割り当てていない。だが関心を持った人間の感情の機微には敏感だった。

 異変に気付いたのはいつからだったか。おそらくはカルロンギィ渓谷を後にした辺りだろう。
 最初は皮膚に刺さったガラスの破片のように、有無が不明瞭なものだった。それが今では、拭えない疑惑にまで膨らんでしまっている。
 ちがう、との囁きが半ば雷の音に喰われて消えた。

「違わない。何を隠している。北へ行けば行くほど、囚われて――」
「放してっ!」
 腕の中のミスリアが暴れる。ベランダから落ちないように咄嗟に手を出すが、弾かれた。しばらくもつれ合うも、数秒後には逃げられた。
 振り返った少女の顔は髪の影に隠れて見えなかった。

「全部の思惑を共有する必要が無いと言ったのはゲズゥですよ。相手が貴方でもこればかりは教えません、教えられません。いいえ、」
 ――貴方だからこそ明かしたくないんです。
 急に振り仰いだ双眸は、濡れていた。見入ったのは一瞬、すぐに小さな背中は部屋の中へと消え去った。

 知らぬ間に息が止まっていたのだと、その時になって気付いた。
 首都の風景に再び向き直って、呼吸を再開する。胸の内がささくれ立っているような気がした。
 ――突き放す言葉を投げつけられたというのに――あんな、助けを求めるような目をするのか。

 理解したいからと、互いに歩み寄ったのが最近のことだったように感じられる。
 ところが引き合いに出たのは出会った当初に交わした会話ばかり。まるで退化している。
 下手に手に取ろうとすれば、ヒビが入って、壊れる――。
 こんなに扱いにくくて恐ろしいものがこの世に存在したのかと、ゲズゥはひとり慄いたのだった。

_______

 両手で木剣を振り下ろした。父親の形見の大剣に比べれば遥かに重量の無い剣だと言うのに、片手でも十分だと言うのに 、ありったけの力を込めた  。
 こちらの渾身の一撃を受け流しきれなかったリーデンは、無理に踏ん張るよりも握る力を緩める選択をしたらしい。練習用の剣は遠くまで弾かれて、通行人の背中に当たった。



余計なヒトコト。
私は創作はイメージ練る段階などでは第三者として記録してる係みたいな感じですが、書いてる時は主に憑依型です。なので自分がミスリア(或いはゲズゥ)に焦がれているような錯覚に陥ったりして複雑ですw

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08:34:26 | 小説 | コメント(0) | page top↑
59.b.
2016 / 06 / 30 ( Thu )
 胡散臭い笑顔に崩れは無い。だが表情に変動が無くとも、言葉の吐き方から異変を感じ取った。
 ゲズゥは右手で木剣を拾った。特に予告なく、腕を振り上げる。

「お前も、人のことが言えない」
 教団本部に着いてから数日経つが、リーデンも機嫌が悪いようだった。
「まあ、ね!」
 カンッ! と小気味いい音が響く。ゲズゥが振り下ろした剣の軌道を止めたのは、同じような練習用の木剣だった。おそらくは魔物退治を想定して基礎戦闘能力を鍛える、聖人聖女たちが使うものだろう。

 切り結んだ二本の剣が離れる。リーデンはサイドステップで体勢を立て直し、すかさず脇腹狙いに薙いだ。
 ゲズゥは剣を垂直に立てて、その一撃をいなす。今度はこちらが攻めに出た。三、四度ほど衝突を繰り返し――片手単位での腕力の差から、リーデンの方が余裕が失われつつあるように見えた、が。

「ミソギなんてさ、絶対馬鹿にしてるよね」
 ――ガン、と一歩踏み込んだ重い攻撃が来た。受けながらも腰を落として、重心を安定させて押し返す。
「聖水とやらを浴びれば浴びるほど左眼は痒いし、痛いし」
 カンコンカン、と続く衝突。話す度に勢いが増しているようだった。

「……それは」
「あらかじめ眼球を身体から取り出してれば対処できるかもって話でしょ? でも、二十歳超えてからじゃないと眼と本体の『自己認識』の接続が不安定だから、僕はまだダメだよね」
「ああ」
 弟は、以前こちらが教えた呪いの眼の実態をしっかりと記憶していたらしい。特に挟む言葉は無く、独白のような愚痴を剣撃と共に受け流した。

「まるで僕らのことを、人間じゃないみたいな」
 段々と攻撃の間隔が短くなる。
「汚いゴミって、言ってるみたいで、さ!」
「そこには同感だ」
 反撃の隙を見つけてゲズゥは身を翻した。リーデンにとっての右側から、左側へと移る。
 両利きのリーデンは自由に剣を右から左へと持ち替えられるため、不利な側は無い。が、右利きのゲズゥには有利な側がある。完全に対処される前に何度か打ち込んだ。

「僕らの聖女さんはそんなこと思ってないだろうけど、だからって、こんな場所!」
 荒く振り下ろされた木剣を、ゲズゥは左手で受け止めた。衝撃がじんじんと皮膚を伝うものの、握り込んで放さないようにした。
「落ち着け」
 勿論、この場所にはゲズゥも色々と思うところがあった。そして弟が何故ここまで苛立っているのかにも心当たりがあった。

「大方、昔に重ねているか」
 互いに左右非対称の視線がかち合った。
「…………」
 饒舌が取り柄の弟が珍しく押し黙るのは、図星だからだろう。実際にゴミを漁って生き長らえていた頃、教会や慈善施設の食糧配布の列に並んでみたこともあった。

 それに際してはあまりいい思い出が無いので、ゲズゥはすかさず忘れた。
 どの道、子供の頃の記憶は曖昧だ。だがどんな想いをしたのかは、ずっと心の奥底に残ることもある。

 此処では、ミスリアに同伴して祭壇の間に行くことはできない。敷地内も常に誰かに見られているような緊迫感と不快感があり、一定の期間のミソギを終えるまでは入れる建物よりも入れない建物の方が多い。
 ゲズゥはイマリナ=タユスの大聖堂などで似た度合いの拒絶を知ったが、リーデンは初めて経験するはずだ。鬱憤が溜まるのも仕方ない。

『偉業を果たした聖人聖女は、生きながら祭り上げられるんだ』
  祭り上げられるってのはどういうことだったか――そう言った白髪の男の声がふと脳内に蘇って、今度はゲズゥの方が苛立ちを覚えた。

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23:44:37 | 小説 | コメント(0) | page top↑
59.a.
2016 / 06 / 28 ( Tue )
 アルシュント大陸の最も有名な無国籍地帯、ヒューラカナンテ高地地方。
 住民は漏れなくヴィールヴ=ハイス教団に在籍する者であり、この地域を訪れる客もまた、必ず教団の寄宿舎に宿泊する。
 客用の部屋は敷地の外れに集中していて、そこから中心の建物へ伸びる道は、上階からよく見下ろせる。

「ねえ見て。聖女ミスリア・ノイラートが通るわ」
「本当だ。噂通りに若い……ううん、幼いのね。小さくて可愛らしいわ」
「あたしたちと同い年って信じられないね。教皇げいかに特別に気にかけていただいてるらしいよ」
「それはそうだろう。彼女は最年少で聖獣を蘇らせる旅に出立したんだから、教団の最高責任者としては心配なはずだ」
 早朝――既に日課の雑用を終えて講義室の窓の前でたむろしている修道士見習いたちの興味を惹いてやまないのが、現在滞在中の聖女の一行であった。

「それより護衛の二人よね。遠くから見ただけだけど、なかなかの美丈夫だったわ」
「わかる! 話してみたいわ。ううん、近くで見るだけでもいい」
「興味津々ね。そりゃああなたは聖職者になるためじゃなくて学を身に着けるために親に教団に送り込まれただけだものね」
 浮かれてもいいだけの余裕があるわよね、と修道女見習いが友人に嫌味っぽく言う。そこに第三の友人が口を挟んだ。

「だめよ、あの人たちは! 毎日ミソギを義務付けられてるんでしょ? どんな穢れを負っているのか知れないわ」
「そりゃあ一朝一夕じゃ禊ぎ落とせないような穢れなんだろ。よほどの悪事を働いてきたと考えられる」
「よほどの悪事って、例えば何かしら」

「さあ……窃盗とか」
「殺人もありうるな」
 面白半分に他人の罪を想像して修道士見習いの男子が盛り上がる中、女子は青ざめていく。
「怖いわ。殺人者が敷地内で息を潜めてるなんて、絶対いやよ。一番信じられないのはそんな人たちを連れ歩いている聖女さまだけど」

「でも護衛の黒い噂はともかく、実際彼女が一番、聖獣に近いって話も聞いたぜ。巡礼も残すところ聖地がひとつやふたつか」
「うそ! すごいじゃない!」
「最年少で旅に出たのも伊達じゃないんだな。早い内に目的を見定めて、それを追う力をぐんぐん身につけたんだよ、きっと」
「そういう人は歴史を探れば、他にも居たじゃないの。だからってそれでうまく行くわけじゃないわ」
「じゃあどうすれば達成できるかしら。講師さま、わかる?」

 ちょうど今しがた講義室に到着したばかりの講師役の年配の修道女に、見習いたちの視線が集まる。

「知っていれば、自ら旅に出ていますよ。でもそうですね――自分にわかっていることが全てだと思い込まないことです。わからない部分の方が、真理に近いのかもしれません」
 講師は眼鏡を押し上げて、寄宿舎の方角をちらりと一瞥した。
 気を取り直して、講義の開始を呼びかける。見習いたちは一斉に窓辺から散って、各々の席に収まって行った。

_______

 懸垂運動に夢中になりすぎたあまりに、ゲズゥは弟が近付いたことに全く気付けなかった。
 気付いたのは、足の裏に触れた球体の感触に虚を突かれ、木の枝を手放して転げ落ちた後だった。砂埃が気管に入り、数秒ほど噎せた。

「こんな悪戯にやられるなんて心の乱れだねえ」
 どこからくすねたのか、娯楽に使うような大きなボールを拾って、不敵に笑うリーデン。この弟に見下ろされるのは滅多に無いことか、妙に腹が立った。
「…………」

「何悩んでんの? つーか最近兄さんずっと機嫌悪いでしょ」
「……別に」
 ズボンについた砂を払って立ち上がると、足元にカランと何かが落ちた。よく見ると、リーデンが木剣を投げつけたのである。

「相談とかより君はこっちだよね。発散しちゃえばいーんだよ。ミソギまで暇あるし、相手するよ」
「それはつまり、お前が暇を潰したいだけか」
「当然」

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58.i.
2016 / 06 / 22 ( Wed )
 釣られて笑ってしまう。
 大きな音に驚きがちなミスリアは、雨はともかく、雷をまじまじと観賞しようとは考えない。新鮮な気分だ。それもこれもゲズゥに強引に連れ出されたからだ。

 観賞会は楽しいし、新しい発見ができたことも嬉しい。しかしどこか落ち着かない。
 右を見ても左を見ても、そこにあるのは膝。たとえ怯えて飛び上がってもベランダから落ちないように固定してくれている。
 気遣いには感謝する。が、この密接具合はいかがなものか。

 どうして彼は平気なのか、どうして自分はこんなに意識してしまうのか――考えようとすると、頭の中が茹で上がりそうで。気を紛らわせようと、首が強張りそうなほど空ばかりを見上げた。

「ああ、そう――」
「何でしょうかっ」
 ゲズゥが言い終わる前にも食いついてしまった。
 妙な間が続いた。間を埋める次の言葉を探してみるものの、うまく口にできない。
 あたふたしている内に、右脇から全長8インチ(約20.3cm)ほどのものがグイッと視界に侵入してきた。

「持っていろ」
「これは、ナイフですか」
 手に取ってみるとすぐにその正体に気付けた。刃を皮の鞘に収められている平べったい部分と、手触りのいい柄部分を指先でなぞる。柄は動物の身体の部分――重みから推測するなら、おそらくは鹿の角――を用いているようだ。

「護身用に持っておけ。刺すよりも切る働きに特化した、黒曜石だ」
 くれるのだと文脈から汲み取って、ミスリアは僅かの間言葉に詰まった。
「もしかしてさっきのお店で……あ、ありがとうございます。でも私、何も贈り返すものがありません……」
 目の奥がツンとした。仲間たちの優しさに、どうして自分は応えられないのだろう。いっそのことゲズゥも、歌を所望してはくれないだろうか。

 ゆるりと、髪に何かが差し込まれる感覚があった。
 驚くよりも心地よさについ瞼を下ろす。暖かい、無骨な指。どうしてかその感じには戸惑いは沸き起こらず、むしろ慣れたもののように受け入れられた。

「約束」
 髪を梳く手付きから、僅かな迷いが伝わった。短い一言ながら、声色にも躊躇いのようなものが出ている。
「はい?」
「いつかお前は、俺が真っ当に生きられる道を一緒に探そうと言った」
 普段の彼の物言いとはかけ離れた、いくらか頼りない声だった。

「……憶えていたんですね」
 息を呑んだ。確かに、自分はそのように言ったのだった。
 あれはそう、ゼテミアン公国でひと悶着あった時の話だった。この話題が上がったのは確かそれきりだ。その後はリーデンと会ったり、聖女レティカ一行と関わったりと、慌ただしかった。

「目的が果たされた後――」
 低い声が、髪を伝って脳を揺さぶるようだった。身動きが取れない。頭蓋を掠る吐息すら、聞き逃してはいけない気がした。
「お前の時間を少し貰えれば、それでいい」
「…………」
 一気にたくさんの想いが胸の内で絡み合った。

 姉カタリアとエザレイ・ロゥンの過去。聖地で見知ったこと、まだこれから歩まねばならない行路のこと。目的を手伝うと言ってくれた人の、いつかは裁かれる運命のこと。そして聖獣の声。決意と不安と、形にならない気持ちがせめぎ合う。
 本気、だった。提案した時、確かにミスリアは実行するつもりで言ったのだった。けれどあの頃には見えていなかった問題が、今は視界に入ってしまっている。

(背を向けていてよかった)
 いつでも零れそうな滴を目に溜めたまま、北東の方角を見つめた。
 こうして近くに居られる日々が、終わらなければいいのに。はっきりと願ってしまう自分に、もう困惑しなかった。
 わかりましたともすみませんとも言えない。苦しいほどに長い間、ナイフを握り締めて黙りこくったままでいた。

 それは、その要求にだけは。
 軽々しく答えることができなかった。


短くあとがき。

平和…回… w?
思ってたより長引いた。どういうことなの。これ書き上げた時ずっとアラビアンな音楽聴いてたのは、展開とは一切関係がありません。

ちなみに件の会話は26話の終わりの方です。随分と昔だなww

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23:24:32 | 小説 | コメント(0) | page top↑
58.h.
2016 / 06 / 20 ( Mon )
(雷が面白いの!?)
 収まったと感じてから空を再び見上げた。脅威は過ぎ去っており、主に月にまとわりつくどす黒い雨雲が見える。
 うーん、と唸って状況を確認した。
 宿の窓は総じて板の戸を取り付けていて、ガラスを使っていない。ミスリアの体格であれば楽に通れるはずだ。

(どうして、今になって距離を縮めるんだろう。ううん、遠いって思い込んでただけで、元々こんなに近かったんだっけ。どうだったっけ……)
 ごちゃごちゃと思案していると、知らぬ間に己の手が動いていた。差し伸べられた支えを求めて。

 温かい掌と接触した感覚で我に返った。
 そして認めるしかなかった。心の奥深いところでは、近付くのも近付かれるのも嫌ではないのだと。
 瞬く間にぐいっと引っ張り上げられ、絶妙に支えられながら、ベランダに降り立った。

「わ」
 肌に触れる夜気の質感がしっとりとしていて爽やかだ。髪をすり抜ける風は荒っぽいが、度を過ぎていない。涼しくて気持ちよくて、つい顔が綻ぶ。上の階のベランダが間に入っているので、雨はあまり当たらない。
 それだけにゲズゥの手が触れている背中が異様に熱っぽくてむず痒い。

 ――かくて命尽きるまでに、わたくしはいかほどにこの瞬間に心動かされ、この時に至るまでに連ねてきた数々の選択に感謝し、包み込む体温を愛おしんでいられましょうか。
 異常なるひと時の中に、わたくしは、何ものにも勝る安穏を見つけられたのでしょうか。そこが小波に撫でられる美しい黄金の砂浜でも、禍々しい荒波にこねくり回される船の上でありましても、あなたさまの腕の中であれば、きっと等しく天上の楽園のよう――

 不意打ちで、ついさっき読んだばかりの小説の一節が脳裏によみがえる。
 宿のサービスの一環として、自由に借り出せる古本の並んだ棚が受付の脇にある。そこに「嵐の中でも放さないで」みたいな、ベタながら何故か目を引く題名の恋愛小説が置いてあったのが悪いのだ。ほんのちょっとだけ覗いてみようかなと手に取っただけで、読み耽るつもりは無かったのに。
 思わずばっと手を振り払った。けれども払った手はすぐに追ってきた。

「落ちるぞ」
「ふぎゃ!」
 バランスを崩して後ろに倒れそうになるところを踏み止まり、体勢を立て直す際にも、支えられた。
 情けない声を出したものだ。顔が火照るのがわかる――何にせよ、暗くてよかった。

「座れ」
 両肩を掴まれたとあってはもう従うほかなかった。ミスリアは大人しくベランダの縁に腰をかける。雨の勢いは弱まっているので濡れる心配は少ないけれど、ぶら下がる足が心もとないような気がしたので、後退を試みた。
 障害物に当たった。

(なっ、だからなんで)
 文句を言うところか否か、逡巡した一瞬の間に、腰に強い力が巻き付いた。冷静に考えればそれは安全を思ってのことだろう。しかし近付かれるのが嫌ではないと今しがた自覚したところで、困惑は消えない――
 刹那、夜空が明るくなった。うねる稲妻が三、四度は枝分かれして、轟音を放ちながら遥か向こうの地上と繋がる。見事な自然現象であった。

「――! 今のってどの辺に落ちたんでしょうか」
 恐れると同時に高揚した。確かにこれは面白いかもしれない。
「教会の方か」
 ぴしゃり、とまた落雷。
「今度はアレの居る辺りに落ちたな」
 心なしか楽しそうに、ゲズゥは言った。

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58.g.
2016 / 06 / 17 ( Fri )
 旋律は尚も続いている。まるで優しい風に抱かれているような心地だ。
 公園には他に人が居ないが、音に興味を持ったらしい鴨の家族が、近くの池から上がってひょこひょこ近付いてくる。

「愚かだって笑っていいよ」
『ううん。すてき』
 イマリナは悪戯っぽく笑った。
 夢見がちなご主人さまは可愛いね、と言葉を続ける。彼女の手話では夢見がちを表現するのに「いつも夢を見たがる」みたいなぎこちない言い回しになったが、十分伝わった。

「野郎に可愛いとかあんまり言うもんじゃないからー」
 同じ悪戯笑いを返して、イマリナの肩に頭を休ませる。髪に塗り込まれた香油の甘い香りが鼻孔を撫でる。
(平和だなぁ。ずっと平和であって欲しいなあ)
 その願いがどこかに届く日は来るだろうか。

 因果応報という概念が摂理の一部であるなら、きっと叶うことはありえない。どれほど贖ってもきっと果ては無い。
 それでも、希望を運ぶ聖女の安らかな歌声と表情を前にして――希求せずにはいられなかった。

_______

「きゃあ!」
 突然の雷に、ミスリアはつい声を上げて怯んだ。開け放してあった窓から閃光が流れ込んできて、目も眩んだ。
(いつの間に雷雨になってたの)
 読書に夢中になっていて全く気付かなかったらしい。宿のベッドから立ち上がり、窓を閉めに向かった。

(リーデンさんたち大丈夫かしら)
 夜遊びに行く、と言って彼らが街に出かけて行ってからしばらく経つ。その間ミスリアは食後の祈祷の為に部屋に残り、ゲズゥも付き添いで宿に残った。

 窓に手をかけようとすると、ベランダの人影が目に入る。
 実はこの宿の個室はどれも窓の外にそれなりの大きさのベランダがついているのだけれども、手摺りなどが壊れてなくなっているため、人がそこに出ることは禁じられている。
 縁に腰をかけて大胆にも足をぶら下げている人物を認めて、色々な意味でぎょっとする。

「そこは危ないですよ」
 と静かに声をかけると、彼は振り返って答えた。
「たかが二階だ。落ちても大したことない」
「……えっと、何をしてるんですか?」
 返事は手招きだった。お前もこっちに来い、との意図らしい。かろうじてミスリアもそこに座れるだけの幅があるにしても、窓から身を乗り出すのは気が引けた。大きな窓ではあるけれど、大きさの問題ではない。

「いいえ、私は遠慮します」
「来い。面白いから」
 ゲズゥはよくわからないことを言って立ち上がった。窓に向けて両手を伸ばしている。
 これまた色々な意味で怯んだ。先ほどの路地での出来事も無論、記憶に新しい。警戒しているというほどではないにしろ、近付くことに多少の躊躇があった。

「面白いって……」
「雷」
 カッと夜空に眩い光が奔る。吃驚して頭を庇った。

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23:59:06 | 小説 | コメント(0) | page top↑
58.f.
2016 / 06 / 16 ( Thu )
 そこでミスリアはぐっと顎を引いて押し黙った。
 実際見てないのだろうなと思った途端、まるで見計らったかのようにリーデンの肩掛け鞄が太ももに重くのしかかった。
(タイミングすごいね)
 存在ごと忘れ去っていた内容物は、なんとこの話題にぴったりと合っていた。鞄を開けて、掌サイズの革製小袋を取り出した。

「ちょうどいいから渡すよ。生誕祝いのプレゼント。こういう祝い事では交換するもんだよね」
 袋を差し出すと、少女は両手で受け取った。
「えっ。でも私、何も用意してません」
「いいっていいって。開けてみてよ」
 促されたままにミスリアは赤紫色に染められた小袋をそっと開いた。中身は黄銅でできた楕円形の手鏡だ。裏面の細工はかなり緻密で、職人のこだわりがよく見て取れる。

「これ、すごく高価なものじゃないですか!?」
「全然ー、君が首から提げてる魔法アイテムよりは安上がりだよ」
 仰天する彼女に適当に答えるが、実際にあのペンダントにいかほどの価値があるのかはリーデンには計り知れない。銀細工には金銭的価値が発生するだろうけれど、水晶の部分はおそらく換金できない。

 教団関係者など、その価値を理解して更に「引き出せる」者ならともかく、一般人にあの水晶を扱うことはできない。ただの石ころ同然だ。まじないのように持っているだけでご利益があるとしても、それは奇跡の力や結界とは程遠い。

「それでも、私も何か用意するべきでした。すみません」
 萎れた花みたいになってしまった彼女がしのびない。リーデンは何かしら良案を探した。
「そうだ、交換する贈り物がモノでなきゃならない法則は無いでしょ? こうしよう」
 いいことを思いついた! と、人差し指を立てる。
 なんでしょう、とミスリアは目をぱちくりさせた。

「僕は君の歌が聴きたいな」
「歌? そんなものでいいんですか」
「ん。得意なんでしょ」
「別に得意というほどでは」
「またまたぁ、洗濯物をしてる時とか歌ってるの聴いてるよー。高音すごいキレイに伸ばしてるよね」
 これは嘘ではなかった。本人はこっそりやっているつもりだったのか、忽ち赤面した。

「き、聴こえてたんですか」
「兄弟揃って耳が良いからねー」
 兄を引き合いに出したのと時を同じくして、他の二人が手持ち無沙汰になって戻ってきた。

「お願いー」
「……わかりました」
 ついにミスリアは承諾した。そうと決まったらリーデンはイマリナを誘って敷き布の上に腰を落ち着けた。
 歌い手は公園の樹に寄りかかって咳払いをする。その樹にさっさと登って消えた人影に関しては、何も言うまい。

 透き通った旋律が紡ぎ出される。
 彼女の故郷の歌だろうか、歌詞はところどころ共通語以外が交じっていた。
 宝の島を目指した冒険者が嵐に呑まれる物語だった。やがて彼の帰りを待つ恋人の元に、不思議な色の泡沫が届いて、恋人は懐かしい人の夢を見る、とかなんとか。

「泡沫、か…………ねえ、マリちゃん」
 なあに? と垂れ気味の黒い瞳が無邪気に問い返す。
「幸福ってさ、シャボン玉みたいだと思わない? 大きく膨らめば嬉しいけど、比例して、割れた時の虚脱感がひどいんだ」

 子供の頃から自分たちはずっとこうだったのだ。親の愛情に包まれて、村の皆と共に遊んだり、やがては友人たちと支え合いながら成長して――そんな当たり前のはずの時間が、あまりに短かった。
 幸せが必ず終わるものなのだと、身をもって知ってしまった。
 こんな見方で人付き合いなんてできるはずが無い。終わりが怖くて、何も始められなくなる。

「二人ならそんなものさえ覆してくれるんじゃないかなって、期待してる。たとえいつかは終わってしまっても、思い出がいつまでも人生を潤わせてくれるような、濃厚な絆をね」

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23:59:30 | 小説 | コメント(0) | page top↑
58.e.
2016 / 06 / 14 ( Tue )
『適当に、合わせて』
 首を傾げてこちらを見つめているイマリナに手話で指示を出した。
『わかったー』
 それだけで意図は伝わり、彼女は素直に承諾する。兄もこれといって文句を言わずに荷物の方へ向かった。
 こうしてできた隙を利用し、リーデンはぽつんと立ち尽くしている少女の傍へと歩み寄る。

「聖女さん聖女さん。放心しちゃって、どうしたの」
 耳元に口を寄せて囁き声で問いかけたのは勿論、悪戯心からであった。吐息は大袈裟に、多めに。
 期待通り「ひゃっ」と小さな悲鳴を上げてミスリアは跳び退った。
「ど、どう……も、しません、よ……?」
 言葉とは裏腹に目がこの上なく泳いでいる。誤魔化すのも嘘を吐くのも苦手な、愛すべき正直者だ。

「ふうん。僕はてっきり兄さんが、ついに手を出したのかと思ったよ」
「てっ、手を――出すって、どういう!? い、いえ、何も……ナニモアリマセンデシタヨ……」
 なんとわかりやすい挙動不審か。リーデンは漏れそうになる笑いを堪えて、じっくりと少女を観察した。
 波打つ栗色の髪は、うなじ辺りが多少乱れている。白い頬に赤みが差しているのは日差しの所為だけじゃないだろう。

 ひとしきり手を振り回した後は、中指で下唇をそっと押している。
 おそらくは無意識での動作だろうに、たったそれだけの仕草が事の顛末を物語っていた。

「敢えて想像するなら――口付けされたってトコかな」
「ふっ、ぐ、う」
 しゃっくりのような悲鳴のような呻きのような。不可解な音を立てて身を縮み込ませるミスリアがひたすらに面白い。

「どうやら核心をついたようだね?」
 泣き出しそうなほど動転しているところ少々哀れだが、こちらはまだ攻めの手を緩めるつもりは無い。
「……ずっと考えてるんですけど。よくわからないんです」
 潤んだ大きな茶色の双眸が、チラチラとこの問答の発端を作った人物を瞥見する。

「何が?」
 笑顔で訊き返した。相手があの兄では「わからない」点の方が多いに違いない。目の前のこの少女が真剣に何を悩んでいるのか、是非とも詳細に聞きたかった。
「うんと小さい頃は家族と挨拶で唇を重ねることはあったんですが……あれとは違うような」

「そりゃあまあ、違うねぇ」
 段階的に思考はまだそこで詰まっているのか、と内心では苦笑する。
 このお年頃の娘は一般的に、接吻されたらそこに恋愛感情が絡んでいることを真っ先に疑うはずだ。いかに彼女がそういったものとかけ離れた生活を送ってきたのかが窺い知れた。

「ではどういうつもりで……」
「んー。あの人のことだから、柔らかそうなかわいい唇だな触ってみるかー、くらいしか考えてなかったんじゃないかな」
「かわっ――……そんな突拍子の無い理由で……」
「異性に触りたい衝動というものは、えてして突然なんだよ」
 と、リーデンは断言する。

「でも幼女には、よ、よくじょう? しないって……前に言ってました、よ」
「あははは、最近鏡見てる? そう言われた時がどうだったかは知らないけど、少なくとも今は、幼女とは呼べないんじゃないかな」

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22:53:56 | 小説 | コメント(0) | page top↑
58.d.
2016 / 06 / 11 ( Sat )
 握られた手に目が行ったのは自然な流れだった。次いで「あの」や「これは?」や「どうしたんですか」のどれかで応答するつもりで口を開きかける。
 その隙に、近かった距離が更に詰められ。
 頭の後ろにも手が回って。視線を正面に戻す間に、引き寄せられていた。偶然それは息を吸い込むタイミングと被った。

 ――リコリスの香りがした。
 匂いそのもの、むしろ素材の味ですら、嫌いではない。奇天烈な飴の記憶と以前に教皇猊下と飲んだお茶の思い出、それらの間に板挟みになって揺れる印象――に、気を取られた。

 それは瞬きの間に起こった。
 柔らかくて温かい感触が触れる。つい、顔面の筋肉を収縮させたのは生理現象と言えよう。
 微かな鉄の味がした。

(違う。血の味)
 何故そんなものがするのか、理由を考えようとすると頭の中が真っ白になる。
 動揺で身体が硬直しかけて、しかしわけもわからない内に力が抜けて瞼が下りた。眠さからではなく心地良さからだ。

 なにこれ、と薄ぼんやりとした疑問が己の中で浮かび上がる。
 髪を撫でる手も、唇に触れる柔らかさも、右手を握る力も。突飛なのに親しみ深い。
 そしてそれらが離れるのも突然だった。

「痣くらい放っておけ。どうせわからない」
 ぱちぱちと瞬くとすぐそこにはいつもと変わらない様子のゲズゥの顔があった。深い黒をたたえた右目と、前髪の間から覗く「呪いの眼」。射貫かれている気分だった。
(肌色が濃いから腫れも変色も見た目じゃわからないって意味かな)
 でも見えなくても痛いのは同じなのに、と言おうとして何も声が出なかった。切れた唇に目が行く。

(――――っ)
 そわっとした。何がどうしたのか、感想が形に成ることは叶わず。よくわからない心持ちは指先にまで伝わり、視線は定まった一点から外すことができない。
「戻る」
 ゲズゥが樽から立ち上がって歩き出した。
「は、はい!」
 硬直が解けると共に、急いでその後姿を追う。

(なんだったの……なにこれ……)
 右手が熱い。目に見えないだけで、今でも圧迫する力がそこにあるみたいに錯覚した。
 動悸が速まりすぎて、寿命まで縮んでしまいそうだった。

_______

(おや? おんやぁ~)
 リーデン・ユラス・クレインカティは、戻ってきた二人の妙な距離感で直ちに異変に気付く。ミスリアがゲズゥの後ろを歩いているのはいつも通りとして、ずっと足元を見ているのが怪しい。
(ほんのり青春のかほりがするなぁ)
 生まれる前からの付き合いなだけに、兄がさらりと淑女に無作法を働いたのだなとリーデンには直感だけで的確に推し当てることができた。

 何やら和やかな気分になってしまう。
 青春、とは――殺伐とした人生を送ってきた自分たちにはとんと縁が無かった現象である。
 遅れてやってきた春に感銘を受ける反面、当人たちをからかいたくて仕方がないのがリーデンの性分であった。

「兄さんー。ちょっとマリちゃんが荷物整理するの、手伝って」
 重いものもあるから、ととりあえず適当な理由を付けて二人を引き離すことにした。

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23:59:59 | 小説 | コメント(0) | page top↑
58.c.
2016 / 06 / 09 ( Thu )
「こういうのは」
 ゲズゥは何食わぬ顔でさっき出たばかりの店にまた入り、色とりどりの飴が入った籠のひとつを指差す。平らな三角形に砂糖をまぶしたものに見えた、が。
「もう騙されません。それはすごく酸っぱいんだって知ってますからね」
「…………」
 青年は振り返っていた顔を巡らせて棚の方を向き直った。瞬間、口元が吊り上がっていたのをミスリアは目ざとく捉える。

(また笑った! 見えない! もったいない)
 けれどここで騒ぎ立てるわけにも行かないため、ちょっとした悔しさを紛らわせようと、濃厚なキャラメルを指定して買ってもらった。
 店を出たら早速キャラメルを一個堪能した。先ほどの強烈な後味を塗り替えてくれる慣れ親しんだ甘さに、つい頬に手を添えてうっとりとした。
 するとゲズゥが立ち止まった。

「どうかしました?」
「買い忘れ」
 顎でしゃくった先は、民家の間の狭い道だった。
「一緒に行ってもいいですか」
「好きにしろ」

 と言っても買い物は刃物らしいので、ミスリアは店の中にまではついて行かなかった。軒先で日向ぼっこをしつつキャラメルを味わう。
 のんびりと通行人を目の端で眺めていた。
 その中の一人と目が合う。条件反射で笑いかけた――

「危ない!」
 男性が突然険しい顔で視線を上へ流した。
「え?」
 そういえば日差しが四角い形に遮られたような、と緊迫感に欠ける思考で顔を上げる。

(立方体……じゃなくて長方形の面も入ってる六面体かな……)
 間抜けた感想ごと押しのけるように、後ろから物凄い力がぶつかってきた。
 背後で二・三度の鈍い衝突音が続く。
「大丈夫か!? レンガが落ちてくるなんて災難だな。ベランダの造りが古くなったんかな」
 通行人が心配そうに駆け寄ってくる。

「なんともありません。ありがとうございます」
「よかったな。そっちの兄ちゃんはどうだ?」
 その言葉でハッとなった。くるりと後ろを向き直ると、無表情を崩しているゲズゥの姿がそこにあった。気にするな、と言うようにひらひらと手を振っている。通行人は満足そうに頷いて、そのまま立ち去った。
 公園への帰り道を辿り始めて間もなく、ミスリアは前を歩く青年のシャツの裾を引っ張った。

「傷を診たいので屈んでください」
 返事が無い。代わりにゲズゥは狭い路地を進み、樽の上に腰をかけた。
 近所の住民のゴミ置き場だろうか。なんとも芳しくない空気が漂っている。
 建物の影がかかって、あまりはっきりと見えない。樽の真横に立って顔を近付けてみた。

「痣になりそうですね」
 落ちてきたレンガが掠ったのか、唇が切れて血が滲んでいる。切れた箇所の周りもやや青みがさしていた。そっと指先で触れてみると、ゲズゥは痛そうに身じろぎした。
「すみません」
「いや」
 前髪に隠れていない方の黒曜石みたいな右目がじっと見つめ返してくる。その威圧感がいつもの数倍に跳ね上がっている気がするのは、何故か。

「……あ! 近いですよね、ごめんなさ――」
 身を引こうとしたところで、伸ばしたままだった手を握られた。

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23:56:40 | 小説 | コメント(0) | page top↑
58.b.
2016 / 06 / 08 ( Wed )
 小走りからゆったりとした足取りにペースを落としながらも、思考は再びエザレイ・ロゥンの件に戻る。
 彼に出会えたことによって、互いにとっても残酷な真実を紐解いてしまった。それでも彼はミスリアたちを責めなかったし、むしろ感謝の意を示した。こちらとしても辛い時間だったが、過去の姉の貴重な話が聞けた。

 全てを聞かなかったことにしたいとは思わない。知らないままで居るよりはずっと良い――
 ただあれからひとつだけ、ずっと胸の奥に引っかかっている言葉がある。己の意思に関係なく何度も思い返していた。

『あんたらはどうだ。会えなくなったら、耐えられるのか』

 彼の言った会えなくなる未来、を想像すると目の奥がじんわりと熱くなる。もやもやと思考と気持ちが絡まり、歩はどんどん遅くなった。
 しかし元々大した距離ではなかったため、そうこうしている内にも角に行き着いた。店から出てくる長身の青年はすぐに見つかった。夏場でありながらこの地域は涼しい方だからか、それに相応しい服装になっている。黒い上着を脱いで腕にかけ、明るい色の麻シャツとズボンを露わにしている。
 彼の黒くない服装は久しぶりに見る気がする。どこか不思議な気分でミスリアは手を振った。

「何を買ったんですか」
 問いかけるとゲズゥは紙袋に手を突っ込み、「ん」と小さく言って拳を差し出した。その真下で自らの掌を開いてみると、黒い塊が落ちてきた。
 柔らかい飴のようだ。特に考えずに口の中に放り込んでみた。
「……うっ」
 予期せぬ味に驚いた。飴だと思って舐めて噛んだら、溢れ出したのは予想していた甘味ではなく――塩味(しおみ)だった。しかも同時に苦い。このクセのある感じはリコリスだろう。

 唾液と相まって、奇天烈な味が口の中に広がっている。拒絶反応も沸き起こるがここで吐き出すわけにも行かず、悶絶しながら頑張って丸呑みした。
 ようやく解放された頃にはぜえはあとうるさく息をしていた。
 頭上から、くっ、と喉が鳴るのを我慢しているような音がした。今更のようにこちらを見下ろす視線を振り仰ぐ。
 ゲズゥは僅かに顔を逸らして右手で口元を隠していた。目元の雰囲気から、隠れている表情が何なのかがわかる。

「わ、笑いましたね? 私の反応みて笑いましたね!? まさかわざと食べさせたんですか!」
 涙を目に溜めたままで詰め寄った。
「…………不可抗力だ。そこまで口に合わないとは思わなかった」
 未だに笑みの気配は消えていない。それがどこかむず痒い。

「だとしても私は不快ですので、代わりに笑顔をちゃんと見せてもらうことを要求します」
 ゲズゥの腕に手を伸ばした。手首を掴んで腕を下に引き下ろしてみると、全く抵抗されなかった。
「口直しに別の飴、買うか」
 そう答えた彼は柔らかく笑っていた。

(あ、どうしよう。嬉しい)
 怒っていたはずの気持ちがどこかへ消えたことに気付く。どうしてか、目を合わせていられなくなる。
 掴んだ手が急に熱を帯びたように感じて、不自然なほど素早く放した。上目遣いで訴える。

「普通に甘いのが欲しいです……」
「ああ」
 例のしょっぱい飴をパクリと口にしてから、再び無表情になったゲズゥは踵を返した。濃い味は苦手なはずなのに、複雑な苦みが気に入っているのだろうか、などとふと思う。
 ミスリアはふわふわと地に足のつかない気持ちで、先導する背中について行った。


サルミアッキが確認されたのは1900年代以降なので、これはアンモニウムなどを使っていないただの塩を振りかけたリコリスと想像しましょう。ちなみにあのカオス空間が私は好きです。(ゲズゥの味覚=私の味覚)

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23:56:07 | 小説 | コメント(0) | page top↑
58.a.
2016 / 06 / 05 ( Sun )
 巡りめぐって数週間、場所はウフレ=ザンダの首都に戻る。
 午後の日差しは温かく、平日の公園でのひと時は穏やかなものだった。おまけにお腹いっぱいな所為かぼんやりと眠い。

 前々から話に上がっていた合同生誕祝いの催しは、本日ピクニックという形で実現された。他愛ない話を挟みながらさまざまなご馳走を平らげ、そして人数分を倍にした量の甘味を堪能したのである。
 後片付けを手伝わなくていいときつく言われたミスリア・ノイラートは、ややだらしない姿勢で公園のベンチに腰を掛けていた。

(うーん)
 眠い。けれどいざ瞼を下ろすと、思考が落ち着かなくなって眠れない。昼寝の時間に限らず最近は夜もずっとこの調子だ。
 膝を軽くとんとんされて、ミスリアは瞼を上げた。長い紅褐色の髪を三つ編みにして垂らした女性が、目の前でしゃがんでいる。
『聖女さん、元気、ない』
 彼女は手話で問いかけてきた。

「いいえ大丈夫ですよ。ちょっと頭がぼーっとしてきただけです。お昼があまりにおいしかったものですから」
『白い髪の人が、心配だから、じゃないの?』
 この質問には即答できなかった。姉の護衛の一人であったエザレイ・ロゥン氏にも今日のささやかな生誕祝いに参加して欲しかったのも本音である。しかし彼はあのサエドラの件の後始末の一環として対犯罪組織ジュリノイに連行されてしまったので、それは叶わない。

『あの人はもう、だいじょうぶ、だよ』
「わかっています」
 聖地から無事に脱出する間、エザレイは一度も人の命を奪わなかった。ミスリアたちが首都に戻って教会や組織の助力を請い、サエドラの町の問題が片付くまでずっと、大人しく理性的な態度を取っていた。
 ついに、裁かれる時が来ても。

 ――貴様は随分と面倒な立場にあるのだな。貴様がこれまでに殺してきた連中はまた、我々にとっては粛清の対象だった。だが秩序の為には貴様のような輩を野放しにはできん。死刑は免れても処罰は免れん。

 数日前、ジュリノイの代表者の一人が自ら足を運んで後始末を引き受けたのである。と言っても暗灰色のローブを頭から被っていたため、顔は見えなかった。その人は男女どちらともとれない中性的な声で判決を言い渡した。

 ――喜べ、貴様の身柄を引き受けたいと申し出た者どもが居る。貴様が魔物狩り師となる以前に弟子入りした人物が所属していた連合だ。日中は牢で寝泊りすることとなり夜は任務で酷使されるだろうが、食と寝床のつく破格の待遇だ。監視の者は常に付く――

 エザレイは二言も無くその話を快諾した。どうせここ数年の生活よりはマシだ、人として扱われなくてもいいから身を粉にして働きたい――そう意見を呈した彼の瞳や表情には濁りない生気がみなぎっていた。
 本当にもう大丈夫なのだろうと、安心して別れられた。

『でも、お姉さんのことは、残念、だったね……』
 そう言ってからイマリナはもじもじと身をよじって目を反らした。話を続けようとして、思い直したのか、くるっと表情を変えて明るく笑う。
(私の反応をうかがって話題を変えようとしてるのかな)
 正直自分がどういう顔をしているのかわからないので、ミスリアはイマリナの気遣いに甘えることにした。

『お兄さん、あそこの角で、お菓子買ってるよ。そろそろ戻ると思う。迎えに、行ったら?』
 彼女の指す「お兄さん」とはゲズゥのことだ。今日のお祝い会でイマリナの方が彼より五歳年上なのが判明したが、この呼び方を貫くつもりらしい。
『片付けは、わたしとご主人様で、十分だよ』

「そうですね。行ってみます」
 気分転換になって目も覚めるかもしれない。ミスリアはベンチから腰を浮かせて、角まで小走りで行く。
(あれだけのデザートの後にお菓子……)
 けれどよく考えてみるとゲズゥはあまり甘味を口にしていなかった。やたら甘い物が苦手だと言っていたので、今買い求めているお菓子は別の味を極めたものなのだろう。



予定通りに行かないのが創作であってw、こっちやるよと言ってもあっちをやっている。
気が付けばミスリア書いてたw 

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57 あとがき + 拍手コメ返信
2016 / 06 / 01 ( Wed )
いぇーい。
一日遅れだけど、遅れさせた甲斐があったように思えます(

ほ、ほら、これで6月は確実に二回更新じゃない!?
なんだこのデジャヴ。去年か一昨年に同じこと言ったきがす。







では続きは読み終わった人向けー
言いたいこと色々あって全部出せたか謎。



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