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一 - c
2017 / 02 / 19 ( Sun )
「でも日が暮れる前には確実にムゥダ=ヴァハナに着かないと! 夜道は危ないです!」
「最後に、好きなことをして過ごしたいのよ」
 低い声でそう返すと、窓から身を乗り出したバルバが怯んだのが見えた。その隙に一直線に走り出す。
 あっという間に馬車を後にした。

(せめて楽しい思い出を胸に抱えていれば……当分は頑張れる、わよね……)
 優しく澄んだ森の空気に包まれながら、セリカは滲み出す涙に気付かない振りをする。

_______

 数分ほど闇雲に走ったら、人工物に行き当たった。
 森の中の空き地の隅に建てられたそれは、物見やぐらより一回り小さく、地上から七フィート(約2.13m)ほど上げられた木製の小屋だ。

 狩猟用の隠れ場所――ハンティング・ブラインドだと、一目でわかった。
 セリカは傍らの梯子に近付いた。此処でなら獲物に気付かれずに長時間張り込める。誰のものかは知らないが、ちょうどいい。

(人の気配がしないし、いいわよね。借りますよ、っと!)
 片手で戸を開いて身を滑り込ませる。
 床が短く軋んだ。一人か、多くても二人が同時に使えるような強度と広さである。食べ残しくらい落ちているのではないかと思ったのに、案外清潔だった。しばらく誰も使っていないのか、それとも最後に使った人間が丁寧に片付けたのか。中にあるのは素朴な椅子ひとつである。

 戸を含めた四方の壁のどれもに、幅広い窓が開いている。好みの角度を見つけて、セリカはそこに椅子を寄せた。
 そして肩にかけている弓矢を下ろした。

(確か、大物を狩るには長時間居座った方がいいのよね。まあ、あんまり高望みしないでおこう)
 そもそもブラインドを見つけるとは思っていなかったのだ。これだけで既に儲けものである。
 ――三十分経った頃。
 ガサガサと、小柄な生き物が草を踏む音がした。目を凝らして待つと、丸っこい鳥がひょこひょこと空き地に進み出た。

 お世辞にもきれいだとは言えない、ざらついた指で弓弦を静かに引く。
 感じるべきは掌に触れる感触、弓の重み。風向き。獣の動きに視線は釘付けになり、僅かに震える草の動きを事細かに追った。

 目標を的確に射止める筋道を茂みの隙間に見定め、呼吸を限界までに遅めて機をうかがった。
 地面を突いていたヤマウズラが、ふいにひょっこりと頭を上げた。鳥類独特の俊敏な首の動きで周囲をひとしきり警戒した後、また餌探しに戻ろうとする――

 セリカは弦を放した。
 草が乱される音、矢が地を打つ音、弓弦が弾ける音などが鼓膜に交差する。
 息を呑んで周囲を見回した。
 数枚の羽根が舞っているだけで、望んだ結果を得られなかった事実を知る。

(狙いはちゃんと付けたのになー)
 逃げられた。落胆するものの、高揚感の方が勝っていた。
 筋肉に走る微かな負担が心地良い。楽しい。こうして弓を手にしている間だけは、余計な感情がまとわりつかない。

(あたしはやっぱり、これが一番「生きてる」って実感できる)
 しかしそれも、弓を手にしている間だけである。腕を下ろせば嫌でも現実を思い出す。異国で誰かの妃になる以上、自分の時間は失われるということ。
 趣味は所詮、趣味に過ぎない。たとえ立場が許したとしても、セリカは男として生きて成功するには力量不足で、公族の女として生きていくには粗雑過ぎた。

 それでもできるだけ長く好きなことをしていたかった。弓の腕を日々磨いた分だけ姫らしさからかけ離れ、縁談が持ち上がる度に片っ端から蹴飛ばしてきた。
 終いには親には「下手に結婚させたら相手の不興を買いかねない」と慎重に扱われる結果となったが、セリカは何も後悔していない。
 思えばどうして、ヌンディークとのこの縁は成り立ったのだろうか。

(なんだかんだで気にしたことなかったわ)
 矢を回収しに行こうと戸を開く。梯子を下りながらも、考え事を続けた。
(十九にもなって結婚してない姫を受けたんだから――)
 下りきって、地に着いた。くしゃり、と旅用の長靴が草を踏む音がする。
(向こうも何か事情が?)
 くるりと踵を返した。何か視界に不自然なものが映っているようだが、意識はすぐにはそこに行かず。

 足元に注意しながら、踏み出そうとしたところで。空中で右脚を止めた。
 一拍の間、身を凍らせる。
 そのまま足を下ろしたら別の誰かの爪先を踏むからである。

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