2-3. e
2018 / 08 / 27 ( Mon )
「お前の体質をどーにかできるとしたら、あいつだ」あくびを挟みながらののんびりとした答えだった。「なんてったって、ひよりの『  』のシフだからな」
「シフ? なんて言ったの」
 謎の名詞は、濃い異国の響きを伴っていてどうにも聴き取れなかった。「ふぁ」「す」と発音した気はするが、間に「つ」または「T」の音も入っていたような。

「んあー、日本語読みわかんね」
 ナガメはゆみの手の平を引き寄せて、指先でするすると文字をなぞった。くすぐったいが、我慢する。「法術」に続いて「師父」だ。
「それは『ほうじゅつ』かな」
「ほうじゅつ。法術《ふぁっ・すっと》、まじないのことだろ」

「おばあちゃんの術のお師匠さんなんだね。うん、会ってみたい」
 断る理由がないどころか願ってもない話だった。唯美子は厄寄せ体質に関してはまだ実感が持てないが、助けになってくれてもくれなくても、祖母の昔の師だという人に会ってみたい。
「決まりだな」
「そうだね、楽しみになってきた」
 諸々の出来事からの心労も、過去を思い出した衝撃も、少しだけ和らいだ気がした。

(このひとは、ヒトに見えても、人の倫理観や道徳観を持ってない)
 では本能のみのケダモノなのかといえば、それも違う。感情があるし、理性もある。
(信じていいの――)
 脳裏にちらつく血濡れた大蛇は相変わらずだ。
 それでいて、幾度も助けてくれたナガメは、一貫して約束を守ってくれている。祖母に求められて助力したのも事実だろう。

 礼は敢えて言わないことにした。まだ、昔のことを整理しきれていないのだ。
 大きく伸びをして立ち上がった。
 すっかり日は暮れかけて、ハトたちもいつの間にか離れた場所で新しい標的に群がっている。そろそろ帰宅した方がいいだろう。母が待っている。
 それにしてもさっきのは何語なの、ふいに訊ねてみるも、青年は首を傾げるだけだった。

     *

 救命行為というものを遠くから見守っていた。
 ぐったりした少女が大人たちにもみくちゃにされているようにしか見えない。胸を圧迫したり、口や鼻をまさぐったりとわけがわからないが、強引に呼吸をさせているのだと、後に説明を聞いた。

 成人済みの方のニンゲンたちは口々に少女の名を呼んでいる。目を覚ませだの死ぬなだのと、同じセリフの繰り返しで騒がしい。湖畔に居た他のニンゲンまでもが手を貸しに集まっている。
 ――死ぬ
 もしも救命措置が実を結ばなかったならばと、その先にある別れを予感して、ミズチは口元をおかしな形に歪ませた。いつになく明瞭な思念を抱く。

(オワカレはやだなぁ。もうあんな、あれは、やだ)
 無意識に、近くのやぶを掴んで揺さぶり始めた。行き場のない焦燥感を、発散するかのように。
 周りの心配をよそに、少女はやがて目を覚ました。取り囲む大人たちが喚く中、当人はぼんやりとしている。

「おかあさんどうしたの」
「よかった、ゆみ……! よかった!」
「くるしいよおかあさん」
「だから僕は早くこんな町出ていこうとあんなに」
 男親が険しく言い捨てると、女親が噛みつきそうな勢いで反論した。

「こんな町って、あなたの故郷でしょう」
「ここで生まれ育ったからこそ、さっさと出ていくべきだと思っている。過疎っていく一方だし、唯美子まで母さんみたいに変なものが見えてしまうんだから」
「おまえ、全部あたしのせいだって思ってるのかい。言っとくがね、都会に出たって、見えるもんは見えちまうよ」
 オトナたちの言い合いは悪化する。

「なかよくしてよう……」
 涙ぐんだ少女のひと声でなんとかその場は収まった。
 結局、口論はひよりのあの決断に続いた。唯美子の記憶と知識から、枠をはみ出たものたちに関する一切を封印するという決断に。


「そういうわけだから。異論は認めないよ」
「…………ん」
 縁側に座るよう招かれたミズチが、幼児の姿で座布団にあぐらをかいていた。大して美味しくもない醤油せんべいを口の中でもごもごと動かして、ひと思案する。
 ここに来ていいのは今日で最後だと、ひよりに言い渡されたばかりだった。明日からは唯美子の気配が異形のモノに認識されないように不可視の術も施すという。

 ――忘れられる。
 ――見つけることも、できない。
 それがどういうことなのかを、不味いせんべいと共にゆっくりと咀嚼する。

「この前はでも、助かったよ。か弱い人間を傷つけないように立ち回るのは大変だったろ。見直したよ。おまえさん、ほんとうにゆみが大好きなんだね」
「だからそー言ってんじゃん」
 答えた自分の声には抑揚がなかった。
 あのねえ、と女は忌々しげに切り出した。

「今生の別れじゃあないさ。あたしがくたばったら、ゆみのこと頼んだよ。あの子はしっかりしてるつもりでなんか危なっかしいのよ。人外絡みに限らず、厄の方が寄ってくるんだねえ」
「わかってる」
 ボキッ、奥歯に割られたせんべいの音が脳にまで反響したようだった。奥歯は普段ほとんど使わないので、変な感覚だ。

「都合の良いこと言っちゃって、悪いね」
「別に」
 何故とは言えないが、ひよりがこう願い出ることはなんとなく予想できていた。
「最期まで守り抜くつもりで関わることだね。人間は――……もろいんだ」
「わかってるよ、それも」
 ありがとう。安堵したように、ひよりは胸に手を当てた。

「願わくばあたしがいなくなる頃のゆみが、己を取り巻くすべてを受け止める強さを身に着けていることを。今は大人が守ってやるしかなくても。忘れさせることが我々の尽くせる最善、でも」
 和服姿の女は遥か遠くにある月亮を潤んだ眼差しで見つめ、ため息をつく。

「あの子にもいつか選べる時が来る」眼差しは、ミズチへと焦点を合わせた。「ゆみがもう一度全部忘れたいと願うなら、尊重してやってほしいんだ。でももしも関わり続けていたいと願うんなら――よろしく頼むよ」
「ん。頼まれてやる」
 けどそれっていつ? 訊いても、ひよりは肩をすくめる。ニンゲンの時間で十年以上はかかるだろうと言う。

「えー。待ってんの退屈だなー」
「修行の旅にでも出たらどうだい」
「いいなそれ。じゃあアレだ、既存の大型爬虫類とかたっぱしからやり合ってくるか」
「戻る頃にはゆみは水が平気になってるといいね。あれからプールも嫌がってるんだ。水の精であるおまえさんには、きつい話だろ」

「なんだよ。おいらに気ぃつかうとからしくねーな」
「うるさいよ」
 女の笑い声は、夜の空気を静かに震わせた。


 時が経つのは遅いようで早い。
 あれが漆原ひよりと交わした最後の会話だった。その事実をミズチは悲しいとも惜しいとも感じず、「意外にあっけない」とだけ思うのだった。
 十年以上、経っている。唯美子が選ぶ時が迫っていることも明白だ。

 気乗りしない。
 唯美子が公園を去り、ミズチはひとり残って砂場の中で横になっていた。夜までこうしていると通りすがりにホームレスと呼ばれることはわかっているが、別段どうでもいい。

(俺は……選んでもらえないかもしれないのが、)
 思考回路はそこで詰まる。
 ハンカチの結び目をいじって、気を紛らわせてみた。紛れるどころか、もやもやは増すばかりだ。別のことに意を向けるとする。

 何十、何百年前だったか、かつて出逢ったひとりのニンゲンを思い浮かべた。
 ――善意は、心地良い。
 別れは、嫌だ――



(三章につづく)


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次回はミズチの過去を少し掘り返し(?)ます。私は書くのが楽しみなのですがまだ全然練り足りてないです(;'∀')

またね!

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